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2021.05.21

「誰でも、何にでもなれる」を体現し続ける集団―織物の魅力を遊佐から世界へ

合同会社Oriori 代表 藤川 かん奈 さん & プランナー 阿部 優美 さん


遊佐町から見える鳥海山を背景に。(写真右から)Oriori代表のかん奈さんとプランナーの優美さん

遊佐町から見える鳥海山を背景に。(写真右から)Oriori代表のかん奈さんとプランナーの優美さん

飽海郡遊佐町(あくみぐん ゆざまち)は日本海に面した山形県の“おでこ”と呼ばれる通り、県の最北端に位置する町。その遊佐町を拠点にヴィンテージ着物や織物アイテムの製造販売を手掛けるクリエイターたちが今、注目を集めています。京都からの移住先であるこの場所でオリジナルブランドを立ち上げた藤川かん奈さん、そして庄内町出身のプランナーである阿部優美さんに、その活動についてお話を伺ってきました。


使われずに眠っている織物を再生するオリジナルブランド「Oriori」

ヴィンテージシルクを使用したアイテムの数々(写真提供:Oriori「公式STORY BOOK」より)

ヴィンテージシルクを使用したアイテムの数々(写真提供:Oriori「公式STORY BOOK」より)

「Orioriのミッションは、日本の眠っている織物たちを変身させ、喜んでくれる人へ国境も越えて届けることです」と言うのは代表のかん奈さん。時折現れる京言葉のアクセントが耳に心地よく、飾らない人柄が印象的です。
商品となるヴィンテージの反物を家庭や呉服店さんから仕入れ、染み抜き職人さんへクリーニングをお願いし、入念に手入れをしているそう。こうして蘇った生地は、かん奈さんのイメージをもとにデザイナーやパタンナー、縫い手さんによって商品化されます。
「反物はヨコが36センチ、タテは10~12メートルくらい。スカーフやポケットチーフなら何本かつくれますが、パンツなら1本できるかどうか。Orioriの商品は1点ものばかりです」。

半世紀から1世紀近く前につくられたであろう反物。呉服屋さんが商売していた当時の金額で数十万円の値札を見ると相当高価なものだとわかります(写真提供:Oriori)

半世紀から1世紀近く前につくられたであろう反物。呉服屋さんが商売していた当時の金額で数十万円の値札を見ると相当高価なものだとわかります(写真提供:Oriori)


古い反物が手に入らなくなったら織物事業の役割を終えるという覚悟

売れる柄の商品をたくさんつくった方が企業としては儲かるはず。ですがOrioriのアイテムは一期一会で、その反物が無くなれば販売は終了。また、自社サイトではピックアップした反物に「残り何メートル」とわかりやすく表示し、オートクチュール感やライブ感が味わえる「今回の生地」という仕組みもあります。「コロナ禍のいま、海外でのポップアップストアは中止し、現在オンラインストアや委託による販売がメインです」と話すのはプランナーの優美さん。山形大学で地域課題について学び、かん奈さんの活動に惹かれ現在に至ります。

SDGsブローチは米織の残糸を手作業でひとつひとつ巻いてつくったもの。その時の糸により色合いが違うところもまた魅力的

SDGsブローチは米織の残糸を手作業でひとつひとつ巻いてつくったもの。その時の糸により色合いが違うところもまた魅力的(通販サイトはこちら

ヴィンテージシルクのアイテムのほかに、米織の残糸を使用した「SDGsブローチ」がメディアやSNSで話題となっているOriori。もともと数年前にSDGsのカラーホイールから着想を得て、木枠に糸を紡いでつくったアクセサリーだったといいます。株式会社 大商金山牧場の小野木社長から特注のオーダーがあり、その後多くのリクエストから商品化したものだそう。
「スカーフのフリンジをつくったときに残った横糸を捨てられなかったんです。国産100%のシルクなのでもったいなくて。米織の残糸を使用していることがSDGs=サステナブルという考え方とマッチしたことで、こんなに反響があるんだと思います。この商品をきっかけにOrioriを知っていただく機会が増えたと実感しています」と、かん奈さん。
「私はもともとテキスタイルに興味を持って起業したわけではなく、すぐ捨てられてしまう行き場のないものや環境に課題意識があったんです。ですからOrioriで新しい生地をどんどん制作して、オリジナルの商品をつくりたいかと聞かれたらまったくNOで。民家や呉服屋さんに古い反物が無くなってしまったら私たちの織物事業は終了しようくらいに思っています」とかん奈さん。そんな彼女がオリジナルのブランドを立ち上げたのは、ある衝撃的な出来事がきっかけだといいます。


「そうだ、イタリアに行こう。」―シチリアへの浮気心

京都生まれ京都育ちのかん奈さんが遊佐へ移住したのは、大恋愛が理由でした。「人生は先が見えないほうが面白い」という価値観と、鳥海山の雄大な景色に惹かれたことも彼女の背中を押します。そうして、地域おこし協力隊として遊佐への移住を決意。ところが次のキャリアを考える頃にはその彼ともうまくいかなくなっていたそうです。もともと旅行好き、ワインと料理好きの彼女が次に目指すはイタリアにあるシチリア島。「ここで日本のB級グルメのお店をはじめたい!」と思った瞬間、シチリア行きのチケットを予約し、まずは情報集めの旅に出ます。

エトナ山がまちから見えるシチリア島。この景色が鳥海山と重なり、余計に親近感があったそう(写真提供:Oriori)

エトナ山が街から見えるシチリア島。この景色が鳥海山と重なり、余計に親近感があったそう(写真提供:Oriori)

ミラッツォという街に辿り着いたかん奈さん。ホストファミリーの紹介により、水の大切さを子どもたちに伝えるプロジェクトを続けるフォトグラファー、ジュゼッペ・ラ・スパーダという人物に出会います。ミラッツォが地元だという彼の展示会に足を運び、彼の作品の美しさだけでなく強いメッセージやエネルギーに心を揺さぶられます。使命感を持った人―その在り方を目の当たりにしたかん奈さんに「僕の夢は、着物を着た日本人が海に飛び込んだ写真を撮ることなんだ」と告げたそうです。

“I hope”(叶うといいね)と相槌を打った彼女はその日、ホストファミリー宅で寿司パーティを企画していたのでジュゼッペさんも招待。皆がワインに酔いしれる頃、かん奈さんはピアノでなんとなく、坂本龍一さんの『戦場のメリークリスマス』をポロンポロンと弾きました。その瞬間、彼は興奮してこう言いました。

「アンビリーバボー!Whyカンナ、youは運命の人だ。リュウイチ・サカモトからたくさんのことを学び、僕は人類で一番彼を尊敬している。Youはその曲を弾いた。今日、僕が話した夢を覚えている?3か月後に、モデルとしてシチリアに来てくれないかい?」

振袖でシチリアの海にシューティング。クレイジーな経験の先に待っていた使命

かん奈さんが振袖で海に飛び込んだときの写真。「Underwater」(海中)と名付けられた作品のひとつ(写真提供:Oriori)

かん奈さんが振袖で海に飛び込んだときの写真。「Underwater」(海中)と名付けられた作品のひとつ(写真提供:Oriori)

偶然にもジュゼッペさんは2010年に日本でのプロジェクトを坂本龍一さんと一緒にしていたそうで、「3.11」にはチャリティムービーをつくったほど。尊敬する人の曲を奏でたかん奈さんが、ジュゼッペさんにはミューズに見えたことでしょう。

帰国後、着物を用意することになったかん奈さん。彼がオーダーするのは浴衣や安価な着物ではなく本物の振袖でした。水着ならともかく、飛び込み用の振袖なんて売っていませんし、理由を伝えたところで誰も売ってくれませんでした。困り果てた中、フライトの10日ほど前に参加した遊佐の町民運動会で、地元の呉服店の女将・ユミさんに相談。驚いた女将でしたが、母が仕立ててくれたという振袖を譲ってくれることに。着物の着付けはできても振袖は自信がなかったかん奈さんは、シチリアへの同行もユミさんにダメ元で伺ってみると、まさかのOKをしてくれたそうです。こうしてかん奈さんの運命が動き出します。

シチリア島でのジュゼッペさんのエキシビションに着物で参加した2人。正絹の着物を来て飛び込むなんて、業界では破門レベル。のちにユミさんはかん奈さんにこう言います。「もし誰かに責められたら”じゃあ、あなたは日本文化のために何か行動を起こしたことがありますか”と尋ねると思う。私は本気だった。だから後悔はないわよ」(写真提供:Oriori)

シチリア島でのジュゼッペさんのエキシビションに着物で参加した2人。正絹の着物で海に飛び込むなんて、業界では破門レベル。のちにユミさんはかん奈さんにこう言います。「もし誰かに責められたら”じゃあ、あなたは日本文化のために何か行動を起こしたことがありますか”と尋ねると思う。私は本気だった。だから後悔はないわよ」(写真提供:Oriori)

シチリア島を着物で闊歩する日本人たちに、ヨーロッパのセレブたちがこぞって着物を触り「素晴らしい」「仕立ててもらえるの?」「どこにアクセスすればいい?」と次々に声をかけてきたそうです。

「なんの肩書もない私に、日本の職人さんがつくった着物が自信を与えてくれたんです。そして隣には『50年も着物に携わってきて、こんなに着物が尊敬されたことがない』と涙を流すユミさんの姿がありました。私は強く胸を打たれ、突き動かされるものがあったのです」―偶然だと思っていた出来事はやがて、かん奈さんの求める“予測できない未来”になるのです。


誰でも、何にでもなれる

「昔と同じ織物は、もうつくれないと思います。国内での養蚕業は産業としても成り立たず、手染めも今はほとんどされてない。だからヴィンテージシルクは宝ものなんです」

「昔と同じ織物は、もうつくれないと思います。国内での養蚕業は産業としても成り立たず、手染めも今はほとんどされてない。だからヴィンテージシルクは宝ものなんです」

何も無いと思っていた自分と蔵で眠る反物たち―それらのアイデンティティをひっくり返された経験によって、その価値を再認識できたというかん奈さん。
「“誰でも、何にでもなれる”というメッセージをOrioriという会社として体現し続けるのが一番だと思っています。私たちの活動によって誰かが一歩踏み出すきっかけになれば。お客さまやつくり手さんはもちろん、人との出会いが全てです」。

Oriori=織織。織物事業により会社が立ち上がり、海外でも展開しようとしている中で日本の四季折々を伝えたいという意味を込めて命名されたブランド名。さらに“たくさんの人やものが折り重なり合うように”というもう一つの思いもあるそうです。

かん奈さんは地元・京都で「笑学校」という多世代のまじわりの場づくりを学生時代からプロデュースしていました。「地域おこし協力隊でも生涯学習の分野で活躍してくださいと言われました。でも遊佐には地域の行事やお祭りがちゃんとあって、私の出番なんて無いなって思ったことも。地方ってしがらみがあったり、簡単にYESって言わないと聞いていたのに、遊佐はみんな協力的で企画のスピードが早い。『めっちゃ嘘やん!めっちゃYESやん』というのはうれしい発見です」。


Orioriのこれからのこと

ジュゼッペさんに弟子入りしようかと思った頃には、山形で新しい恋がはじまっていたかん奈さん。その彼と一昨年に入籍。彼が現れなかったら、今頃シチリアでB級グルメのお店“Oriori”をオープンさせていた可能性も。「かん奈さんの恋愛の話は、何度聞いても飽きないです」と優美さん

ジュゼッペさんに弟子入りしようかと思った頃には、山形で新しい恋がはじまっていたかん奈さん。その彼と一昨年に入籍。彼が現れなかったら、今頃シチリアでB級グルメのお店“Oriori”をオープンさせていた可能性も。「かん奈さんの恋愛の話は、何度聞いても飽きないです」と優美さん

プランナーの優美さんは、かん奈さんについて次のように話します。「かん奈さんはスーパー直感の人。それを私は誰でもわかるように咀嚼して、届くべき人に伝えるのが私のやりたいこと」。それに対して、かん奈さんは「“Orioriを手に取ってもらうことで、その方の暮らしを見つめ直すきっかけになったら”というストーリーが、私の口から言葉として出るようになったのは、優美ちゃんのおかげなんですよ」と言います。縦糸と横糸のように正反対の2人。だからこそ、それぞれの立場からしなやかにOrioriを紡いでいます。

誰かのために何かを成し遂げたいとき、結果的に自分や何かを犠牲にすることがあります。ところがかん奈さんは自分が幸せになることで、周りも幸せになっていく人。本人は「恋愛に振り回されて生きているような感じでした」と話します。でもそれが男女間の恋愛だけでなく、“誰かを幸せにしたい”や、“輝くお手伝いをしたい”という惚れっぽさ。その魅力は、まさに現代のフーテンの寅さんのよう。もしくは“俺たちのサウンドを世界中に届けたい”よりも“モテたくてギターはじめました”というバンドのほうが断然かっこよかったり、人を惹きつけたりするそれに似ています。
彼女たちは遊佐を拠点に、次は地球のどこを歩いているのか―これからもOrioriから目が離せません。

合同会社Oriori

山形県飽海郡遊佐町遊佐向田19番地

この記事を書いた人
みどりかいぎさん

みどりかいぎさん
Profile 山形会議のキュレーター。元・書店員。青森生まれ、盛岡・仙台育ち、そして山形へ。今までの引っ越し回数は12回を数える。日々糖質との闘い。レモンサワーがあれば大丈夫。
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