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2020.12.15

焼き物は日常にある、実はとても身近なもの。まずはその世界をのぞいてみませんか

公益財団法人 出羽桜美術館

明治期の面影を残す建物は、国の登録有形文化財となっています

明治期の面影を残す建物は、国の登録有形文化財となっています

先代社長の集める執念と努力。そこから生まれた美術館

天童市・出羽桜酒造の隣に佇む趣のある日本家屋。ここは1988年、出羽桜酒造の三代目仲野清次郎氏の蒐集(しゅうしゅう)品の寄贈を受けて開館した出羽桜美術館。美術館の扉を開けると、そこには明治期の木造建築ならではの木の温もりが感じられる、落ち着いた和の空間が広がっています。

かつては清次郎氏の自宅として使われていたそうです。味わい深い調度品が随所に

かつては清次郎氏の自宅として使われていたそうです。味わい深い調度品が随所に

父親である清次郎氏の姿を間近で見てきた出羽桜酒造社長の仲野益美さんに、開館当時の経緯や清次郎氏のお人柄について伺いました。

「私の父は昭和5年生まれで、学生時代を東京で過ごしました。焼き物を集め出したのは、学生の頃からですね。李朝※の白磁※が好きだったようです。日本の陶磁器の原点ですから。人にはよく、“お金がないと集まらないでしょ”って言われるんですが、大切にしてくれて、好きな人に最終的には寄ってくる、私はそう思います。ですから、父の集める執念と努力はすごいです」

※李朝・・・・・李氏朝鮮の略称で、1392年に高麗を滅ぼして成立し、1910年まで続いた朝鮮の王朝。

※白磁・・・・・白色の素地に透明な釉 (うわぐすり) を施した磁器。中国六朝 (りくちょう) 時代に起こり、日本では江戸初期の有田焼に始まった。

美術館の核となる李朝の陶磁器。なかでも「李朝染付花唐草文皿」は、現存する類例の少なさから世界的にも大変貴重な作品。残念ながら常設展示ではないので、もしかしたら企画展で見学できる機会があるかも(写真提供:出羽桜美術館)

美術館の核となる李朝の陶磁器。なかでも「李朝染付花唐草文皿」は、現存する類例の少なさから世界的にも大変貴重な作品。残念ながら常設展示ではないので、もしかしたら企画展で見学できる機会があるかも(写真提供:出羽桜美術館)

美術館に対するこだわりや強い想いを抱いていた清次郎氏でしたが、開館時の企画展では自身で集めた陶磁器や工芸品に対する想いが強すぎて、年度順や高額順といったふうに自分で並べることができなかった、というエピソードも。
「父は自分が蒐集した焼き物一つひとつに対する愛情と想いが強い。価格や価値じゃないんでしょうね。美術品を見ると、集められた方の考え方などがわかる気がしますね」と仲野さん。

「県立美術館や市立美術館というのは公的な役割を担わなきゃいけない。個人美術館は、個性色濃くていい。全部公的なもの、全部“個”的なものではダメ。それら両方があり、それらが相まって、美術なり芸術なり、いろいろな発信ができるようになる。だから、個性色濃くやる」
そう語っていたという清次郎氏の、美術館へかける想いの強さを感じました。

見る者を魅了する、李朝白磁の白く、美しい磁肌

先代社長の清次郎氏が一代で集めた、古韓国・新羅・高麗・李朝の陶磁器や工芸品がずらりと並びますが、見どころはやはり、李氏朝鮮王朝(李朝)時代の美術品。定期的に公開しているところは東北でも数少ないといいます。李朝の美術品の特徴を学芸員の大場寛子さんに伺いました。

「李朝の美術品というと、白磁ですね。李朝の国の方針として質素倹約があり、余計な装飾があまりついていない、白い焼き物が多く作られるようになりました。清楚さや潔白をイメージする白磁の白が儒教の教えにもかなっていたんでしょうね」

美術品にまつわる歴史や興味深いエピソードを交えて案内してくださった学芸員の大場さん

美術品にまつわる歴史や興味深いエピソードを交えて案内してくださった学芸員の大場さん

李朝の徳利、盃などの酒器を展示。上段手前が李朝の初期のもので、一つひとつ厚みがあり雄々しい印象を受けるのに対し、下段のものには白磁の白さが引き立つ美しい造形が見られます

李朝の徳利、盃などの酒器を展示。上段手前が李朝の初期のもので、一つひとつ厚みがあり雄々しい印象を受けるのに対し、下段のものには白磁の白さが引き立つ美しい造形が見られます

日本ではなかなか見られないというこの独特な形は、馬上杯(ばじょうはい)と呼ばれる盃。馬に乗ったまま、景気づけにお酒を飲んで、割って、戦場に行く、そんな話もあったのだとか

日本ではなかなか見られないというこの独特な形は、馬上杯(ばじょうはい)と呼ばれる盃。馬に乗ったまま、景気づけにお酒を飲んで、割って、戦場に行く、そんな話もあったのだとか

李朝の工芸品は日本の工芸品のルーツともいわれています。「日本では、なかなか土器から抜け出せなかったところがありました。陶磁器はもともとはやっぱり中国の技術がすばらしく、中国の技術を持っている朝鮮から日本に来た陶工(とうこう)※さんたちが中心となって、山を切り開いて、土をこねて、それがいわゆる伊万里焼、唐津焼といった有名な焼き物になったという歴史があります」
そして「こうした歴史をお客様に伝えていくことも美術館の務め」と語る大場さん。

酒器を中心に、桜の美術、螺鈿(らでん)を施した小さな箱、近代文士の書、日本六古窯(ろっこよう)など、蒐集した美術品をみると、その数と清次郎氏の幅広い美意識に驚かされます。美術品一つひとつに清次郎氏の人柄や想いがにじみ出ている、そんな印象を受けました。

※陶工・・・・・陶磁器の製造を職業とする人。焼き物師。

あの宮本武蔵が描いた水墨画がここに

陶磁器や工芸品のほかにも、大場さんがこれも見てほしいとおすすめする美術品を教えていただきました。それは、宮本武蔵が描いたという「葡萄栗鼠図(ぶどうりすず)」。現物は5~6年に1度、企画展での展示になりますが、レプリカは常に見ることができます。

宮本武蔵が描いた「葡萄栗鼠図」。果実を実らせた葡萄の木と、その木の枝にとまるりすの姿が躍動感たっぷりに描かれています

宮本武蔵が描いた「葡萄栗鼠図」。果実を実らせた葡萄の木と、その木の枝にとまるりすの姿が躍動感たっぷりに描かれています

二刀流の剣豪のイメージが強い宮本武蔵ですが、実は書画もたしなみ、達磨図や野鳥を描いた水墨画を数多く残しているといいます。「りすが葡萄をねらって飛び移ろうとしている姿を描いた図です。飛び移る一瞬を捉えて、さらさらさらーっと一気にひと筆で描き上げるすばやい筆致が、剣豪らしさを感じさせますね」

「“葡萄とりす”は当時人気のあったモチーフで、刀の装飾などにも使われていたそうです。昔はりすのことを“りっす”言っていたこともあり、“武道で律する”すなわち“武道で自分は心を保つ”という意味合いを持っていて、武家にとても人気がありました」

和の空間に、心地よい時間が流れる

「メッセージ性が強すぎる美術品は強く心に残ってしまうんですけれども、焼き物のようなおだやかなものを見ると心もおだやかになると思いますね。美術館でもコロナに対する対策を練って、どなたがいらしていただいてもいいように準備していますので、見たいものがあったら臆せずぜひ見にいらしてほしいなと思います。年4回の企画展では、桜にちなんだ工芸品、盲目の女性旅芸人「瞽女(ごぜ)」を描いた洋画家・斎藤真一などの作品展示も行っています」と大場さん。

「焼き物は難しいというイメージがありますが、実は毎日使っている一番身近なもの。自分が土器っぽい、土っぽい焼き物が好きなのか、それとも李朝のような磁器っぽい美しい焼き物が好きなのか、まずはひとつ生活の中に取り入れることで、自分の好みもわかってくると思います。そこから、技法だったり、歴史だったり、いろんな知識欲も湧いてくるのではないでしょうか」

李朝を求めて見学にいらっしゃる方もいるので、常設で李朝の工芸品を展示しているそうです

李朝を求めて見学にいらっしゃる方もいるので、常設で李朝の工芸品を展示しているそうです

建物も見どころのひとつ。明治45年の建物は国の登録有形文化財にも登録されています。廊下にあるガラスは当時のもので、ガラスに見られる気泡や歪みはとても珍しいものなのだそう。お蔵と座敷が一体となった蔵座敷も見応えがあります。
美しい日本建築の建物の中で、静かに心おだやかに美術品を鑑賞する―。そんな時間も美術館を楽しむ要素になりそうです。

廊下側の窓の外には庭が広がり、季節の移ろいを感じることができます

廊下側の窓の外には庭が広がり、季節の移ろいを感じることができます

重厚な扉が見事な蔵座敷。天童で大火が起こったときに蔵づくりが推奨されたことから、このあたりの地域ではまだいくつか蔵座敷が見られるといいます

重厚な扉が見事な蔵座敷。天童で大火が起こったときに蔵づくりが推奨されたことから、このあたりの地域ではまだいくつか蔵座敷が見られるといいます

この記事を書いた人
そらいろかいぎさん

Profile 山形会議のキュレーター。マイペースでキレイ好き。だいたい拭いてる。「とあるネズミのキャラクター」に似ていると言われることも。
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