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2020.10.01経済で、文化芸術で。豊かな山形を未来へつなぐために
株式会社山形銀行 頭取 長谷川 吉茂さん
やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)の大ホールをバックに
前身である第八十一国立銀行の明治11年の創立以来、長きにわたって地域の成長発展を支え、山形県のトップバンクとして躍進を続けてきた山形銀行。金融にとどまらず、地域の文化振興活動にも力を入れて取り組む、同行の第15代頭取・長谷川吉茂さんに“山形の今とこれから”についてお話を聞きました。
故郷を離れても抱き続けた、山形への思い
「星を眺めるのが好きな子供でした。屋根の上に登っては、トランペットを吹きながら飽きるまで夜空を見上げていました」
長谷川さんのお話は、そんな意外な少年時代の懐古からはじまりました。ひと言でいうなら、活発で好奇心旺盛。中学校では陸上部に所属し、夏は部員たちと連れ立って蔵王縦走や飯豊連峰の登山へ。冬が来ればスキーに熱中したそうです。スキー選手だった母・俊子さんの影響ではじめたその腕前は、当時の蔵王スキー大会で上位の成績を残すほどでした。
高校を卒業後、長谷川さんは東京大学へ。当初は天文学者を志していましたが、しだいに社会学への関心を深めたことから経済学部へ転入しました。そこで金融学を専攻し、1973年に住友銀行(現・三井住友銀行)に入行しました。
「1985年にUターンし山形銀行に入行するまで、すなわち大学時代から数え約17年間は東京で過ごしました。私の生き方からすれば、最終的に山形に戻るというのは宿命のようなもの。ですから山形を離れている間も、いつも自分の心は故郷・山形とともにありました」
絶えざるイノベーション。その源流にある大切な言葉
地域にしっかりと根を下ろした堅実経営。2005年に頭取に就任し、その経営の舵を切ってきた長谷川さんの傍らには、いつも大切にしている言葉があるといいます。
「松尾芭蕉の『不易流行』という言葉です。“不易”は伝統やしきたり、すなわち変えてはいけないもの。反対に“流行”は変えるべきものを指しています。どんな企業にとっても、得意とするのは不易の方でしょうが、それだけでは当然立ち行かなくなるもの。不易と流行の両方を見極めながら、新しいものを生み出し続けていくことが求められます」
その言葉を裏付けるように、山形銀行はその長い歴史の中で、時代の潮流とニーズを敏感にキャッチし、さまざまな変化を遂げてきました。例えば、昨今、目にする機会が急速に増えたSDGs(持続可能な開発目標)。2019年7月には、その達成に向け、地域に根差した銀行として、積極的に取り組むことをいち早く表明しています
また2020年4月には、全国初となる金融機関100%出資の子会社「TRYパートナーズ」を新設。その機能は地域商社事業とコンサルティング事業の2つに大別され、県内のベンチャー企業や先端産業などの製品販売支援など地域企業の営業活動の一助を担うことで、地域経済の活性化を目指しています。
「県内には、世界に通用する優れたものづくりの技術が息づいています。また創業100年以上の老舗企業が京都に次いで多く現存することも本県の特長でしょう。こうした企業の伝統を大切に守っていくことは当行の大きな役割と捉えています」
その伝統を守る上で、課題の一つとして挙げられるのが後継者問題です。これに対して、「義務教育の中で、子どもたちがもっと故郷の文化や歴史について深く学び、誇りを持てる機会をつくるべき」と指摘する長谷川さん。山形県産業構造審議会および山形県産業教育審議会の会長ならびに山形県文化推進委員会の委員長という立場から、産業・教育・文化のあり方について声を上げています。
安全・安心で豊かな山形を守り抜くために
本県の魅力について話が及ぶと、長谷川さんはこう口にしました。
「2020年7月の豪雨により、県内各地では住宅被害や農業被害が発生しましたが、幸いにも死者や行方不明者を出すような事態には至りませんでした。災害の少なさに加え、治安も安定。そんな山形の“安全・安心”は我々県民が誇るべきものの一つだと感じます」
長谷川さんが強調する山形の“安全・安心”。もちろん、それは経済活動の根幹となるものであると同時に、山形銀行が一貫して守り抜いてきたものともいえます。
2020年2月、山形県は新型コロナウイルスの影響により、経営に支障をきたしている県内中小企業・小規模事業業者の資金繰りを支援するため、山形県商工業振興資金融資制度「地域経済変動対策資金」の対象要件に、新型コロナウイルスを指定。翌月にはこの資金について、県・市町村・金融機関と連携し無利子とする制度を全国に先駆けて開始しました。
「行政と当行のタイアップは非常にうまくいっていると自負しています。我々は私企業であると同時に、社会的存在でもあることを十分に認識しなければなりません。伝統と信頼のある地方銀行として、使命を全うしていきたい」と話す長谷川さん。行内には「国家の危機だから救えるところは全て救う努力をせよ」と伝え、行員を鼓舞したといいます。
こうした姿勢から、地域の発展に責任を持つ本県のトップバンクとしての揺るぎのない覚悟、そして昔も今も変わらない山形への強い愛着をうかがうことができます。
若者に身に付けてほしい、教養と勉強し続ける姿勢
2020年5月、山形銀行がネーミングライツを取得した「やまぎん県民ホール」(山形県総合文化芸術館)がオープン。長谷川さんは山形美術館評議員や山形交響楽協会理事、裏千家淡交会東北地区長兼山形支部長を務めるなど、長年に渡り山形の文化振興活動を牽引し、ご自身も美術や音楽、茶道に造詣が深いことは広く知られています。
工業デザイナーの奥山清行さんデザイン・オリエンタルカーペットが製作・山形銀行が寄贈した緞帳『紅』-BENI-の前で。「製作の一部始終を見守ってきただけに完成した緞帳を目にした時は感無量でした」と長谷川さん
一部には山形県産の紅花で染めたウールを使用。山形の過去・現在・未来をグラデーションで色鮮やかに表現しています
山形職人の技術の粋が凝縮したやまぎん県民ホール。中央階段では山形組子の間接照明が空間を柔らかく照らします
「芸術や文化は、教養として必要なものです。今の人は本を読む機会が以前より減り、調べ物は自分で考えたり辞書を引いたりせずに手軽なインターネットに頼ってしまいがちです。それだけでは一向に思考力が鍛えられませんよね」
長谷川さんは“これぞ”という本は、「頭取推薦図書」として行員に薦めています。さらに新入行員研修は常務時代から現在に至るまで頭取自らが担当しています。
「毎回1時間以上の質疑応答の時間を設けているのですが、その時にどうしたら成長できるかという問いに対して必ず伝えるのは、とにかく勉強しなさいということ。“死ぬまで勉強する”そのくらいの気概を持って、探求心と好奇心を抱き続けてほしいです」
山形銀行本店には頭取推薦図書「論語と算盤」の著者である渋沢栄一の特設コーナーもありました
歳を重ねても夢を抱き、“思い立ったらやる”勇気を
“夢のとなりに。”をコーポレートスローガンに掲げる山形銀行。長谷川さんはこれまでに銀行員として、そして頭取として、いったいどれくらいの人の夢に寄添い、未来を思い描き、そして叶えてきたのでしょうか。
「ご自身の現在の夢は何ですか?」そう尋ねるや否や、長谷川さんは「90歳まで生きること」と破顔し答えました。「茶道裏千家第15代家元の千玄室大宗匠とはお付き合いがありますが、97歳を迎えた今も健康そのもの。毎朝3時に起床しお茶を点て、体操を欠かさないそうです。ほかにも2017年に亡くなられてしまいましたが、日野原重明さんは100歳を超えても現役の医師として活躍されていました。そういう方達のことを心から尊敬しますし、自分も歳を重ねても“思い立ったらやる”勇気を持ち続けていたいですね」
そしてこうも続けます。「一番にやりたいのはピアノを習うこと。スキーにもまた挑戦したいし、妻と一緒にウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートにも行ってみたいですね」
きっと少年時代と変わらない輝きに満ちた瞳で、実現したい夢をいくつも打ち明けてくれました。
最上川舟運「小鵜飼船」をモチーフにしたオリエンタルカーペット社製の絨毯のあるエントランスにて。ストリートピアノを弾きながら「ピアノ曲ではショパンの幻想即興曲が好きですね」と長谷川さん
来るべき2021年の干支は丑。長谷川さんは6回目の年男を迎えます。
「うちは曽祖父、祖父、父に私、4代続けて丑年という面白い家系なんです。一般的に牛には鈍重なイメージがあることでしょう。ですが牛は進み始めたら、後ろには下がりません。今の経済環境が全治するには時間を要するでしょうが、2021年は牛のように粘り強く誠実に、少しでも良い方向へと歩みを重ねていきたいですね」
プロフィール 株式会社山形銀行 頭取 長谷川 吉茂さん
1949年、山形市生まれ。山形県立山形東高等学校を首席で卒業後、東京大学に進学。卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)勤務を経て、1985年に常務として山形銀行に入行。専務、代表取締役専務を歴任し、2005年より現職。芸術文化団体の理事や評議員も兼任し、2013年には藍綬褒章を受章。2014年にはベストバンカー賞(金融ジャーナル社)、そして2018年には金融界では初となる山形県産業賞を受賞している。
プライベートで家族とよく行くお店 季節料理 浜なす分店
厳選した季節の食材を職人の技で丁寧に仕上げた品のある料理に定評のある老舗割烹です。
「客の好みに応じて、旬の食材を一番おいしい食べ方で出してくれる信頼のおけるお店です」と長谷川さん。
この記事を書いた人
あかかいぎさん