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2021.02.19

真実を伝え、民主主義を守る使命―山形を支えるジャーナリズム

株式会社山形新聞社 代表取締役社長・主筆 寒河江浩二さん

かいぎさん

山形県民なら誰もが知っている新聞といえば「やましん」。そう、山形新聞は山形県を代表する地方新聞です。2020年の発行部数は190,584部。山形県の全世帯数が401,849世帯(2020年11月1日現在)、約40万世帯だとすると、2世帯に1部が届いている計算に。この地域最強のローカルメディアのトップ、寒河江浩二社長に、新聞の未来、そして山形県のこれからについてお話をうかがいました。

毎日、夕方になると翌日の紙面の内容をチェック。この時は、紙面の全てを統括する「主筆」としての顔をのぞかせます

毎日、夕方になると翌日の紙面の内容をチェック。この時は、紙面の全てを統括する「主筆」としての顔をのぞかせます

NHKのドラマ「事件記者」にあこがれて新聞記者を目指す

昭和30年~40年代、警視庁詰めの新聞記者たちが活躍する「事件記者」というテレビドラマがありました。NHKで放送され大ヒットしたこの番組を学生時代に見て、新聞記者に強いあこがれを抱いたという寒河江さん。「社会正義があり、勧善懲悪な物語。自分もなるのであれば新聞記者。しかも事件記者だと思いました」。

寒河江さんが山形新聞社に入社したのは1971年(昭和46年)のこと。入社してすぐに米沢支局の警察担当の記者となります。「昼夜を問わず事件を追っていました。面白いけど辛い」。この時期に事実に対する厳しさを徹底的に叩き込まれたといいます。

「裏取り(確認)は1つだけではダメ。2つ、3つと確認し、絶対に動かない事実をつかみ記事を書いていきます」。守秘義務をもつ警察側から、事件に関する情報を与えてくれることはほとんどなく「我々はそこをこじ開けて、事実に近づいていく」と寒河江さん。

昭和48年、米沢市入田沢八谷鉱山落盤事故の現地取材にて(右端が寒河江さん)。一緒に写っているのは米沢警察署の方々(写真提供:寒河江浩二さん)

昭和48年、米沢市入田沢八谷鉱山落盤事故の現地取材にて(右端が寒河江さん)。一緒に写っているのは米沢警察署の方々(写真提供:寒河江浩二さん)

昭和52年、山辺町根際地区のトンネル爆発事故の現地対策本部。泊まり込みの取材が一週間続いたそうです(写真提供:寒河江浩二さん)

昭和52年、山辺町根際地区のトンネル爆発事故の現地対策本部。泊まり込みの取材が一週間続いたそうです(写真提供:寒河江浩二さん)

刑事部長は激怒、凶悪な殺人事件の取材

山形県で衝撃的な殺人事件が起きたことがありました。1985年(昭和60年)4月、東根市の大森工業団地の空き地で男性の他殺体が発見された「大森工業団地殺人事件」です。後日、被害者と金銭トラブルがあった3人の男が逮捕されます。
「非常に手の込んだ、複雑な殺人事件だった」と寒河江さん。警察担当のキャップだった寒河江さんは何回も現地へ足を運び、捜査関係者を取材し、事実を追っていきます。

事件発覚から2か月経った6月6日、犯人逮捕という特ダネを掴みます。刑事部長宅を訪ね、翌日の朝刊に「今日逮捕」と打ちますから、と伝えると、部長は激怒したといいます。
「今では考えられないですよね。でもこちらも必死ですから」

それでも翌7日の朝刊一面には「きょうにも逮捕」の見出しを掲載。この日の早朝、警察官が犯人らの自宅へ行き任意同行を求めました。3人は無事逮捕され、事件は終息へと向かいます。

「とんでもない朝刊」と寒河江さんが語る山形新聞6月7日の1面記事。逮捕されることが気づかれないよう、容疑者3人が住んでいる地域の配達を遅らせたそうです(山形新聞1985年6月7日)

「とんでもない朝刊」と寒河江さんが語る山形新聞6月7日の1面記事。逮捕されることが気づかれないよう、容疑者3人が住んでいる地域の配達を遅らせたそうです(山形新聞1985年6月7日)

庄内町で発生した転覆事故に、社の総力をあげて取材

長年警察担当だった寒河江さんですが、1996年(平成8年)鶴岡支社長を経て、2005年(平成17年)、庄内総支社長となります。就任してまもなく起きたのが、同年12月のJR羽越本線特急いなほ脱線転覆事故。庄内町の最上川橋梁を通過後に脱線、5人が死亡、33人が重軽傷を負うという惨事でした。

全国ニュースでも取り上げられたこの事故では、本社と鶴岡・酒田はもちろん、県内各支社総出の取材が続き、寒河江さんは現地の陣頭指揮にあたります。現場を調べ、事実を積み上げていくうちに、事故の原因はダウンバースト(局地的突風)であるという仮説にたどり着きました。「後に、JRと県警、国土交通省で組織された事故調査委員会が全く同じ結論を出しました」と寒河江さん。山形新聞社の取材力が遺憾なく発揮された出来事と言ってもいいかもしれません。

大雪の2005年12月25日に起きたJR羽越本線特急いなほ脱線転覆事故。6両編成のうち、5両が脱線、多くの死傷者が出ました(写真提供:山形新聞社)

大雪の2005年12月25日に起きたJR羽越本線特急いなほ脱線転覆事故。6両編成のうち、5両が脱線、多くの死傷者が出ました(写真提供:山形新聞社)

主筆として「緊急声明」を発表、全国で反響を呼ぶ

特急いなほ脱線転覆事故の翌2006年(平成18年)、本社に戻った寒河江さんは編集局長となり、2012年(平成24年)代表取締役社長に就任。同時に主筆も務めます。主筆とは、新聞の編集面の最高責任者のことで、社説や論説をはじめとする紙面の全権を持って統括する独立した存在のこと。

「主筆は紙面づくりも言論活動も全部を見ていかなければならない」と言う寒河江さんに、紙面をつくる上で大切にしていることを尋ねました。
「事実をきちんと伝えること。そして民主主義を守る公正中立な言論活動です」

新聞社には言論機関として権力の暴走を監視し、国民の知る権利を守る役割があります。寒河江さんの信条が最も強く貫かれたのは、2015年(平成27年)6月28日の1面に掲載した「緊急声明」でした。自民党若手議員の勉強会で、沖縄県の地方紙2紙に圧力をかけるような発言に対し、「言論封殺の暴挙許すな」と題し、抗議する声明文を発表します。

「表現の自由を守る上で、地方紙も全国紙も関係ない。地方紙であっても言うべきだと思って書きました。一地方紙が緊急声明を出したところで何ほどのこともない、と思われるかもしれない。結果はどうであれ、声明を出すということが大事だったんです」

しかし、その反響は予想以上。県内多くの読者をはじめ県外の方からも励ましの手紙やはがき、メールが届きました。「原文を読みたい」との要望を受け、6月30日に山形新聞のサイトにもアップしています。

緊急声明「言論封殺の暴挙許すな」の記事はこちらをクリック

どんな時代になっても、新聞の使命は変わらない

1876年(明治9年)に創刊した山形新聞は、今年2021年9月に創刊145周年を迎えます。
「斎藤篤信(山形県師範学校初代校長)は、山形新聞創刊時にその喜びと期待を漢詩に記しています」と寒河江さん。漢詩は山形新聞社の1階ロビーに飾られています。

「自由民権運動が広まり始めた明治という新しい時代に、新聞が社会の木鐸(ぼくたく)として山形で産声をあげたことに対する期待には、並々ならぬものがありました」。創刊から145年経つ今、我々はそれに応えているのか、と寒河江さんは自問します。

「紙の時代ではない、ネットの時代だと言われていますが、どんな時代になっても、民主主義をいかに守るかが我々に課せられている使命です」

2020年11月に行われたアメリカ大統領選挙を例に、現在の民主主義の危うさを懸念する寒河江さん。
「アメリカは日本のような新聞の戸別配達制度がなく、地方には新聞すらない。スマホで自分の好きな情報しか探さないので、トランプ氏を信じ、フェイクニュースの区別ができなくなってしまう」
だからこそ、真実を伝える新聞の存在はネット社会においても不可欠だと言います。

山形新聞社・山形放送が入居する山形メディアタワー。かつての山形新聞放送会館を新しく建て替え、同じ場所に2007年に完成しました

山形新聞社・山形放送が入居する山形メディアタワー。かつての山形新聞放送会館を新しく建て替え、同じ場所に2007年に完成しました

環境問題、デジタル革新、さまざまな社会現象を捉え、県民に問いかける

「山形県の発展があってこその山形新聞」と寒河江さんが語るように、山形新聞社では時代を見据え、地域を導こうとするさまざまな取り組みを行っています。その一つがSDGs県民運動の推進。2020年8月6日に山形県、山形大学とともに「共同宣言」を行い、SDGsの考え方に基づく県土の発展を誓い合いました。

今までも「最上川さくら回廊」や「1学級1新聞」など、SDGsに関わる取り組みを行ってきましたが、今年はそれをさらに加速させる、と寒河江さん。蔵王のアオモリトドマツを回復させるため「みどりのまなび 樹氷再生への歩み」プロジェクトを開始するほか、8月には「やまがたSDGsフェスタ2021」と題したイベントの開催も予定しています。(ともに山形新聞、山形放送の2021年8大事業)

コロナ禍で加速するデジタル化社会に対応すべく「5G・IoT・AIコンソーシアム」も立ち上げました。デジタル技術を学び地域活性化につなげるのが目的で、情報提供や県内企業同士の連携構築の場づくりを支援します。「デジタル化の推進は、今後の山形県の発展に寄与する」として、今後も力を入れていく予定です。

2021年1月1日の山形新聞の一面は、SDGsの連載シリーズ「幸せの羅針盤」でスタート。「SDGsは世の中すべての問題を網羅している。解決は難しいけれども信じてやっていくしかない」(山形新聞2021年1月1日)

2021年1月1日の山形新聞の一面は、SDGsの連載シリーズ「幸せの羅針盤」でスタート。「SDGsは世の中すべての問題を網羅している。解決は難しいけれども信じてやっていくしかない」(山形新聞2021年1月1日)

硬派な記者の顔とは異なる、作家研究の執筆活動

山形新聞社の社長として、また主筆として、毎日忙しい日々を送っている寒河江さんですが、時代小説が好きという一面も持っています。特に鶴岡市出身の小説家、藤沢周平には造詣が深く、鶴岡支社時代に執筆を担当した連載記事は書籍化され、ベストセラーとなりました。
「山形は歴史や文化が残っているところが魅力的ですね。山形市は歩くと、商人の息づかいが感じられる街並みがあります。庄内も大好きです。金峯山が月の光に照らされ真正面に見える夜の小路など、まさしく藤沢周平の世界です」

寒河江さんが執筆を担当した『藤沢周平と庄内』『続 藤沢周平と庄内』(山形新聞社編/ダイヤモンド社発行)(写真提供:山形新聞社)

寒河江さんが執筆を担当した『藤沢周平と庄内』『続 藤沢周平と庄内』(山形新聞社編/ダイヤモンド社発行)(写真提供:山形新聞社)

新聞に未来はある。決して斜陽産業などではない

記者時代から主筆兼代表取締役社長となった現在まで、事実に対する厳しさと民主主義を守る使命を貫いてきた寒河江さん。ネットやSNSが流布する現在であっても、新聞の果たす役割は大きいと言います。今後の目標は?との問いに、迷わず「新聞の復活」と答えました。

「新聞は斜陽産業だ、と言われますがそうではない。新聞がないと民主主義は維持できません。新聞がないところに未来はない」

アメリカで「ニュース砂漠」という現象が起きています。地方紙の廃刊が相次ぎ、日刊紙が1紙もない地域が拡大し社会問題になっているそうです。ネットやSNSのフェイクニュースや偏った意見を信じる国民が増えることで、アメリカの分断は進んでいるのかもしれません。

地元の新聞社が衰退すると健全な民主主義が機能しなくなる、この恐ろしい現象を防ぐにはどうすればいいか。寒河江さんの言葉にその活路を見いだせる気がしました。

「今、新聞を読んだことがない子どもたちが増えています。学校の教室に新聞1部を入れる『1学級1新聞』の取組みは4年目となり県内の小中高校約2000学級まで広まってきました。新聞を手にする若い人たちが増えて、好きなことだけではなく、都合の悪いことも書いてある新聞を読んでくれるようになれば、民主主義は大丈夫だと思います」

山形新聞を読んで育った世代から、山形のジャーナリズムの担い手が生まれてくるかもしれない。そんな期待を抱きました。

株式会社山形新聞社 代表取締役社長・主筆 寒河江浩二(ひろじ)さん

プロフィール 株式会社山形新聞社 代表取締役社長・主筆 寒河江浩二(ひろじ)さん

1947年、東根市生まれ。山形県立山形東高等学校出身。1971年、山形大学卒業後、山形新聞社入社。1997年鶴岡支社長、2005年庄内総支社長を務める。2006年に編集局長となり、2012年、代表取締役社長兼主筆。趣味はゴルフ、ドライブ、散歩と読書。最近は、司馬遼太郎の長編時代小説『峠』を再読している。

株式会社山形新聞社

山形県山形市旅篭町2丁目5番12号

https://www.yamagata-np.jp/

勝負メシ 【県庁食堂の夢つつみ弁当】

山形のブランド米つや姫をはじめ、県産食材を約9割使用した、彩り豊かで滋味あふれるお弁当です。平成29年に、第10回地産地消給食等メニューコンテスト農林水産大臣賞を受賞しました。「取締役会のある日は、このお弁当を食べて元気をつけてから会議に臨みます」と寒河江さん。産地や生産者の紹介がメニューに記載されており、話題も弾むのだとか。
県庁食堂
http://kencho-shokudo.com/

県庁食堂の夢つつみ弁当

この記事を書いた人
おれんじかいぎさん

おれんじかいぎさん
Profile 山形会議のキュレーター。長井市出身。「包丁を研いだら、切れ味がよくなった」など、日常の幸せを見つけることが得意。頼れるお姉さんとしていつもニコニコ見守ってくれる。
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