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2020.10.02

医療的ケア児・重症児者の未来を拓き、山形を変える女性起業家

合同会社ヴォーチェ 代表 佐藤 奈々子さん

合同会社ヴォーチェ 代表 佐藤 奈々子さん

まなびのへやバンビーナ吉原にて。インタビュー中も子どもたちの元気な声が聞こえてきました

「イケアジ」と聞いてすぐに「医療的ケア児」の略称(医ケア児)とわかる人はいるでしょうか。「医療的ケア児」とは、たんの吸引や経管栄養等の医療的ケアが日常的に必要な子どもたちのことで、山形県内に約140人いるといいます。こうした子どもたちが日ごろ通える療育施設「まなびのへやバンビーナ」を運営する合同会社ヴォーチェの代表、佐藤奈々子さんにお話を伺いました。

待機児童ゼロではない、その現実に違和感を抱く

「もともと脳血管障害の後遺症がある方が、言語や身体のリハビリを受けられるデイサービスを運営していました。すると、子どものST訓練(言語聴覚療法)を受けられますか?というお母さんからの問い合わせを多くいただくようになったので、言語に障がいがあるお子様を受け入れる施設をつくろうと考えたんです」と佐藤さん。現状を知るために山形市社会福祉協議会を訪ね、そこで、言語を話せない子どもだけではなく、身体に障がいがある子どもも多く、山形にはそうした子どもたちの療育施設がないという事実を知ります。

「私にも子どもが二人いますが、保育園にあずけるのも、仕事ができることもあたり前だと思っていました。保育園に行けない子がいて、お母さんたちも仕事ができないなんておかしい!山形市は待機児童ゼロだと言っていますが、そうではないとすごく違和感を覚えました」
佐藤さんは、「ないなら、つくろう」と決意。早速、障がい児のお母さんたちのサークル「ラコール・カフェ」を紹介してもらい、話を聞きに行きます。

「施設の計画を話したら、みなさん “待ってた~!” と喜んでくださって。そこで意思を固めたのです」しかし、発達障がい児を対象につくった施設を、身体障がい児用に仕様を変えなければなりません。決めたのはオープンの1か月間前。スタッフたちもびっくりして口を開けたといいます。
「知識ないけど大丈夫ですか?」「間に合いますか?」と聞くスタッフに「力になりたいという気持ちがあれば大丈夫!」と背中を押す佐藤さん。「言語聴覚士も理学療法士もいるから何とかなる!と。お母さんたちにも教えていただきながら、みんなで専門書を買って勉強して、何とか間に合いました」

まなびのへやバンビーナ吉原では、0歳~6歳までの未就学児をあずかっています。まなびのへやバンビーナ松原(写真下)は小学生~高校生までをあずかる施設。2施設で約40名の子どもたちが通所しています

まなびのへやバンビーナ吉原では、0歳~6歳までの未就学児をあずかっています。まなびのへやバンビーナ松原(写真下)は小学生~高校生までをあずかる施設。2施設で約40名の子どもたちが通所しています

合同会社ヴォーチェ 代表 佐藤 奈々子さん

 

テレビやSNSで現状を伝え、行政をも動かす

2013年、山形初の医療的ケア児・重症児者を対象とした療育施設「まなびのへやバンビーナ」が誕生しました。障がいがある子どもたちにとっての学童保育や保育園のような、親が日常的にあずけられる施設。子どもたちは友だちと歌をうたったり、散歩をしたりと、スタッフたちの献身的なケアのもと、健康な子どもたちと変わらない、のびのびと楽しい時間を過ごしています。

「知らない」というのが一番怖いこと、と佐藤さんは言います。「私もそうでしたが、重度の障がいがある子どもたちの療育施設がない、という事実を知らなかった。だから、なるべく多くの人に医療的ケア児や、重度の身体障がいがある子どもたちの現状を知ってもらうため、フェイスブックや講演会などで積極的に情報を発信しています」

NHKの取材を受けたことで、テレビを見たたくさんの方が興味・関心を持ってくれるようになったと佐藤さん。「山形県や山形市も、もっと知りたいと言ってくれるようになって、お母さんたちと行政が会談する機会をつくったり、バンビーナを見学していただいたりしました」
車椅子に乗った子どもたちをスタッフが介助する様子を指して「これをお母さんたちは毎日やっているんです」と伝えたそうです。「みんなが生きる喜びを持って強く生きているから、私たちはこの子どもたちにかなわない、と話をすると、みなさん表情を変えて“これは早急に解決しなければいけない問題だ”と、ようやく動いてくれるようになりました」

大きな変化があったのは、2019年2月、山形県医療的ケア児支援会議の発足です。県医師会や県看護協会をはじめ行政、教育、医療などの関係機関が一体となってサポートする体制ができました。

「あらゆる医療的ケア児に関する方々が集まって医療的ケア児の未来について話し合う。何が足りないか何が必要か。今まで届き難かったみなさんの声を届けると、そこで県はどうするか、医師会はどうするか、すごいスピードで決まることが増えたのです」

2020年7月に起きた豪雨災害の後に、普段から避難場所と家族が顔を合わせ事前準備ができる仕組みづくりを会議で提案した佐藤さん。県はすぐ具体的に動くことを約束、医師会も協力して動くことが決まったそうです。「まだまだ問題はいっぱいありますが、ここから早いと思います」目を輝かせて佐藤さんは語ります。

「家では末っ子で甘やかされている子も、ここではケンカもするし、小さい子の面倒も見ようとする。ご家族が大変だからあずかるだけではなく、成長を養う場でもあります」(写真提供:ヴォーチェ)

「家では末っ子で甘やかされている子も、ここではケンカもするし、小さい子の面倒も見ようとする。ご家族が大変だからあずかるだけではなく、成長を養う場でもあります」(写真提供:ヴォーチェ)

“~だからできない”ではなく、“どうしたらできるか”

医療的ケア児とその家族のために、できることは何でもしようとする佐藤さん。その強い意志の根源は何か知りたくなりました。
「3歳の時に母を亡くしましたが、近所のおばちゃんや学校の先生など、たくさんの人に助けてもらいました。愛情もいっぱい受けて育ちました。その恩返しというか、人のためになることをやりたいと思っていました」

もともと福祉に興味があったという佐藤さん。歯科衛生士になり、障がいがある子どもたちにブラッシングの指導をした時、“私の居場所はここだ”と直感したそうです。歯科衛生士を辞め、30歳の時「福祉の道に行く」と決意。最初に勤めた老人施設で脳血管障害の後遺症がある方たちと出会います。

「80~90代のお年寄りの方たちと一緒に50代の方がリハビリをしていることに違和感を覚えました。そこで、40~60代の若い方がいきいきと通えるデイサービスをつくろうと考えて起業を決めたんです」

2010年、賛同する仲間と合同会社ヴォーチェを立ち上げ「ことばのデイルーム奏」を設立。脳血管障害の後遺症による言語障がいや運動障がいがある方がリハビリのメニューを自分で選べる、新しい通所介護施設です。

子どもでも大人でも、困っている人を助けたい、そう思えばすぐに実行する。そんな佐藤さんが大切にしていることは、「~だからできない」ではなく「どうしたらできるか」を考えること。「あきらめなければ答えは見つかります」。不可能を可能にしてきた彼女の言葉には説得力がありました。

バンビーナのクリスマス発表会。スタッフのみなさんも明るくて元気です。「“自分の可能性を信じてチャレンジしよう”がバンビーナの理念。子どもたちに負けないように私たちもチャレンジし続けています」と佐藤さん(写真提供:ヴォーチェ)

バンビーナのクリスマス発表会。スタッフのみなさんも明るくて元気です。「“自分の可能性を信じてチャレンジしよう”がバンビーナの理念。子どもたちに負けないように私たちもチャレンジし続けています」と佐藤さん(写真提供:ヴォーチェ)

当事者団体が立ち上がり、変わったお母さん達の意識

山形県医療的ケア児支援会議が発足してから、佐藤さんの行動力は加速します。同じ悩みを持つ家族同士が交流できるネットワークをつくりたいと2019年6月「山形県医療的ケア児者・重症児者の会」を設立。

「新庄市など山形市以外の、周りに同じ悩みをもつ仲間が少ないお母さんともSNSなどでつながって、何でも相談し合える情報交換の場になることが目的です。庄内や最上、置賜はまだつながっていないところもあるので、今後は支部をつくってカフェやイベントができればいいなと考えています」。2020年2月には「きょうだい児の会」も発足。障がい児のきょうだいを応援する取り組みも開始しました。

こうした当事者団体を立ち上げてから、お母さんたちの意識も変わったと佐藤さんは感じています。「以前はあれをやって欲しい、もっとこうやって欲しいという意見や要望が多かったんですが、自分たちも山形県や地域に貢献できる団体になろう、という気運が生まれました」県のために様々なアンケートに協力するなどの動きが出始めているそうです。

「山形県医療的ケア児者・重症児者の会」の会報誌。Facebookでも情報を発信しています

「山形県医療的ケア児者・重症児者の会」の会報誌。Facebookでも情報を発信しています

「きょうだい児の会」の会員交流会。みんなで手作りの名刺を交換し合い、会の終わりにはご両親から一人ひとりに愛情の込められたお手紙が渡されました(写真提供:ヴォーチェ)

「きょうだい児の会」の会員交流会。みんなで手作りの名刺を交換し合い、会の終わりにはご両親から一人ひとりに愛情の込められたお手紙が渡されました(写真提供:ヴォーチェ)

切れ目のない支援、地域で見守る社会を目指す

2021年4月には、南陽市に多機能型重症児者通所事業所「まなびのへやバンビーナ南陽」を開設。現在の「児童発達支援」「放課後等デイサービス」の機能に加えて18歳以上の大人が通える「生活介護」の機能を備えた施設です。テーマは「切れ目のない支援」。

「障がいがあるから自立できないのではありません。人の手を借りて自分らしく生きることが自立。子どもたちも家から出て自立していくことが大事だと思うので、将来的にグループホームをいつかつくりたい。南陽市の施設はそのモデルになると考えています。地域で見守れる仕組みをつくっていけば、ご両親もごきょうだいも安心ですよね」

医療の技術が進歩し、医療的ケア児は今後ますます増えていく時代。「なかなか環境が追いついていないのが現状ですが、少しでも追いつくことが私たちの役割だと思っています。私たちのような事業所さんも少しずつ増えているので、もっと増えるといいなと思っています」

「まなびのへやバンビーナ南陽」完成イメージ図(写真提供:ヴォーチェ)

「まなびのへやバンビーナ南陽」完成イメージ図(写真提供:ヴォーチェ)

2022年1月完成、同3月開館が予定されている「山形市南部への児童遊戯施設」にも、ヴォーチェは運営で参加することが決まりました。「障がい児と健常児が一緒に遊べるインクルーシブな施設になります。今からワクワクしています」
今後ますます忙しくなる佐藤さんですが、本当は現場を一番やりたいといいます。子どもたちと触れ合うことが何よりのリフレッシュ方法で、元気の源なのだとか。
「今は外の仕事が多いので“ちょっとくたびれたな”と思う時は、そーっと中に入って子どもたちを抱っこしたり、寝ている子の隣で“今日の奈々子さんの話聞いてくれる?”と悩み相談をしたりしています(笑)。みんな“うん、うん”と聞いてくれるんです」

「全ての人が生きる意味を持って生まれてきます。命そのものに価値があることをたくさんの子どもたちに教えていただきました」と佐藤さん。

どんなことにも常に明るく生き生きと立ち向かってきた彼女のポジティブな雰囲気が、周りの人を巻き込み、行政をも動かす力になっているのだと感じました。これからますます注目されていく偉大な人物に思えて仕方がありません。

「山形市南部への児童遊戯施設」完成イメージ図(写真提供:ヴォーチェ)

「山形市南部への児童遊戯施設」完成イメージ図(写真提供:ヴォーチェ)

プロフィール 合同会社ヴォーチェ 代表 佐藤 奈々子さん

1976年山形市生まれ。山形県立山形北高等学校卒業。歯科衛生士として歯科医院に10年勤務。30歳で介護支援専門員の資格を取得し福祉業界へ。2010年合同会社ヴォーチェ設立。2013年、医療的ケア児・重症児者に特化した療育施設「まなびのへやバンビーナ」を創設。2020年7月には「社会福祉法人」の法人格を取得。今後は「社会福祉法人ヴォーチェ」としての事業を拡大していく予定。

合同会社 ヴォーチェ

山形県山形市吉原3-1-5

http://www.voce-yamagata.net/index.html

この記事を書いた人
おれんじかいぎさん

おれんじかいぎさん
Profile 山形会議のキュレーター。山形生まれ、山形育ち。「包丁を研いだら、切れ味がよくなったこと」など日々の小さな幸せを見つけることが得意。頼れるお姉さん。
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