やまがたをソウゾウするwebメディア

work

2020.12.15

日本文化の粋を集めた“日本酒”を、世界に冠たるアルコールに

出羽桜酒造株式会社 代表取締役社長 仲野益美さん

併設の出羽桜美術館の前にて。先代清次郎社長が収集した李朝の陶磁器を中心に収蔵しています

併設の出羽桜美術館の前にて。先代清次郎社長が収集した李朝の陶磁器を中心に収蔵しています

「ウィナー・イズ・デワザクライチロ!」というフレーズではじまるCMを覚えている人も多いのではないでしょうか。出羽桜酒造の「純米大吟醸酒 一路」がインターナショナルワインチャレンジ(IWC)のSAKE部門で「チャンピオン・サケ」に輝いたのは2008年のこと。日本酒の素晴らしさを世界に広めた第一人者であり、いまなおトップを走り続ける出羽桜酒造の4代目、仲野益美社長に、酒造りへの想いと日本酒のこれからについてお話を伺いました。

日本酒界で画期的だった「桜花 吟醸酒」の発売

春には舞鶴山の桜が見事に咲き誇る、温泉と将棋のまち天童市。この地で、出羽桜酒造が創業したのは1892年(明治25年)のこと。初代から何代にもわたり地元で愛される酒造りをしてきましたが、転機が訪れたのは1980年。「吟醸酒」という言葉がまだ世の中で知られていない時代に、「桜花 吟醸酒」を発売します。

「1972年(昭和47年)をピークに日本酒が下降線をたどっている中、“日本酒復権の切り札”として、先代の父が発売を決めました」

そもそも吟醸酒とは、酒米の精米歩合を60%以下まで磨き仕込む、非常に手間がかかり技術を必要とするお酒。「特級酒」「一級酒」「二級酒」に大別されていた日本酒の中で、「吟醸酒」は、蔵人が技術を磨くためにわずかな量しか造らない特別なお酒でした。品評会や贈答用の特別なお酒を、日常に飲める手頃な価格のお酒として一般に発売したのが「桜花 吟醸酒」。フルーティな香りとふくよかな味わいは瞬く間に人気となり、全国に「吟醸酒ブーム」を巻き起こします。「桜花 吟醸酒」は、地酒人気銘柄ランキングで12年連続日本一(2005年)になるなど、不動の人気となりました。

それまでの日本酒観を変えたといわれる「桜花 吟醸酒」。「発売から40年を経過しましたが、出羽桜の基準となるお酒なので、大切にしながら常にブラッシュアップしていきたいですね」(写真提供:出羽桜酒造)

それまでの日本酒観を変えたといわれる「桜花 吟醸酒」。「発売から40年を経過しましたが、出羽桜の基準となるお酒なので、大切にしながら常にブラッシュアップしていきたいですね」(写真提供:出羽桜酒造)

後継ぎになる覚悟を決めた、ある人の言葉

仲野さんは酒蔵の後継者のほとんどが目指すという東京農業大学醸造学科出身。しかし最初は後継ぎになりたくなかったと言います。
「日本経済を動かすような商社マンになりたかったんです」大学1年生の時、その憧れの姿を現実にしている大学の友人のお父さんから「最終商品を造れて、世に問えるというのは、私たち商社マンには得られない、メーカーの最大の喜びだよ」と言われます。

「酒造りは、大きな可能性を秘めている」そう思った仲野さん。大学での素晴らしい先生方との出会いを経て酒造りの奥深さ、面白さに気づいていきます。
卒業後は、国の研究機関(旧国税庁醸造試験所)で2年研修し、東京の酒類卸会社を経て実家の出羽桜酒造へ。父親の清次郎社長が急逝したことにより2000年、39歳で社長に就任します。「病気がちだった父の代わりに、専務としてほとんどの業務をしていたので助走期間はありました」

海外デビューはハワイ、やがて欧州へ

世界をまたにかける商社マンになりたかった。その夢を現実にするかのように1997年、日本酒としてはいち早く海外への輸出を始めます。「醸造試験所の先生がハワイに赴任した時、現地の人へ薦めた4本の日本酒のうちの1本が出羽桜のお酒でした。そこで目に留まり、輸入に指名されるようになったのです」

海外でその名が知られるようになったのは2008年。IWC※でのチャンピオン・サケ(出羽桜 一路)の受賞です。英国王室御用達のBB&R社(世界最古のワイン商)が、初めて取り扱う日本酒として採用しました。「世界中のソムリエが注目している会社なので、各国のソムリエが日本酒に興味を持ってくれるきっかけになりました」。
さらに2016年、IWCで「出羽桜 純米酒 出羽の里」が再びチャンピオン・サケ(最高金賞)に輝きます。史上初2度目の受賞です。過去にもトロフィー10回、金メダル8回と、IWCでは全国一の受賞歴を誇ります。

※IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)・・・・・英国で開催される世界最大規模・最高権威に評価されるワイン・コンペティション。2007年から設けられた「SAKE部門」には、毎年多くの酒蔵が参加。2020年は1401銘柄が出品され、世界最大の日本酒コンクールにもなっている。各カテゴリーの金メダル受賞酒の中からもっとも優れた銘柄に対しトロフィー受賞酒が選ばれ、「チャンピオン・サケ」はさらにそのトロフィー受賞酒の中から選ばれる。

「チャンピオン・サケ」を受賞した「出羽桜 純米酒 出羽の里」(写真中央)。山形県産の酒造好適米「出羽の里」を使用したお酒が受賞したことが何よりも嬉しかった、と仲野さん。他にも数々の入賞を果たしています

「チャンピオン・サケ」を受賞した「出羽桜 純米酒 出羽の里」(写真中央)。山形県産の酒造好適米「出羽の里」を使用したお酒が受賞したことが何よりも嬉しかった、と仲野さん。他にも数々の入賞を果たしています

目指すは、日本文化を知らない国への普及

仲野さんが海外へ日本酒を広めたい、その理由は何か。「日本酒は日本そのもので、美しい自然、美味しい水や米、優れた技術など、日本の素晴らしさがぎゅっと詰まっている。その日本を象徴するような飲み物である日本酒を海外へ発信し、日本の文化を理解し、日本を語ってもらいたいんです」
「最終商品を世の中に問える喜び」そして「酒蔵の誇りとする喜び」がそこにあると言います。

日本酒の2019年度の輸出総額は約234億円(日本酒造組合中央会調べ)。過去最高の輸出金額となりましたが、まだまだこれからなのだそう。「フランスワインは全体の30~40%が国外で売られているのに対し、日本酒は全体の5%に過ぎません。その中でもアメリカやアジアが多く、ヨーロッパは苦戦しています。フランスやイタリアは特に。自国の食と文化に誇りを持っていますから」

海外へいち早く目を向けた仲野さんは、全国組織である日本酒造組合中央会の海外戦略委員長にも抜擢されます。「監督官庁の国税庁を含め、省庁の垣根を越えて国全体が輸出をバックアップし、応援してくださっています。日本のことを理解してもらうには、日本酒の海外輸出も大切だと考えるようになったんです。全く日本酒の知識がない国へ、文化も含めて日本酒を広めていく役割を担っていきたいですね」

「出羽桜のお酒は、山形の人たちに育ててもらったお酒。山形の人が美味しいと言ったお酒は、どこに行っても通用すると確信しています」

「出羽桜のお酒は、山形の人たちに育ててもらったお酒。山形の人が美味しいと言ったお酒は、どこに行っても通用すると確信しています」

都道府県単位で、初のGI取得に奔走

地域の優れた産品を保護し、品質の高さを保証する国の地理的表示(GI:Geographical Indication)保護制度。2014年から始まったこの制度に、いち早く取り組んだのが山形県の酒蔵です。県内にある52蔵全てが一丸となって獲得にむけ努力を重ねました。その船頭を任されたのも仲野さんです。

「山形のお酒は、一社や二社が代表して全体のイメージをつくることができない、さまざまな個性がある県です。だからこそ、山形の産地イメージはこれから絶対大切だと考えました」

山形の酒蔵には、もともと「山形県研醸会」という会を立ち上げ、県とともに品質のレベルアップに励んできたという実績があります。厳正な審査も何回も経験してきました。「GI」に対する理解を得られるまで時間はかったものの、話が進むのは早く2016年12月、GI「山形」を、都道府県単位で初めて取得します。

「ワインであればボルドー、ブルゴーニュというように、日本酒で山形という地域を語って欲しいんです。日本酒を通じて、国内外の人が山形に興味を持ち、山形にお越しいただき、山形の魅力に触れていただきたい。それが地元に育ててもらった酒蔵の、山形への恩返しになると思うので」

「GI山形」の認証マーク(左)。厳正な審査を通った一定レベル以上のお酒だけを「GI山形」として認定します。右は、大吟醸向けの県産酒米「雪女神」を35%まで磨いた「出羽桜 雪女神 三割五分」(写真提供:出羽桜酒造)

「GI山形」の認証マーク(左)。厳正な審査を通った一定レベル以上のお酒だけを「GI山形」として認定します。右は、大吟醸向けの県産酒米「雪女神」を35%まで磨いた「出羽桜 雪女神 三割五分」(写真提供:出羽桜酒造)

切磋琢磨を怠らず、常に改革していく

全国新酒鑑評会※、IWCをはじめ、数々の賞を受賞している出羽桜酒造。その秘訣をうかがいました。

「弛まぬ向上心だと思います。全国新酒鑑評会は全国から1000点くらい出品されていますから、当然入賞には運不運もあるんですよ。落ちたときに振り返って反省し、改革し、次に生かしていく、これが大切です」

その向上心をさらに後押しするのが、出羽桜酒造の研修制度。全国各地の蔵元の後継者が、2~3年間、酒造りの工程をここで一から学びます。「有名な酒造メーカーの御曹司もうちの社員と一緒に瓶詰めするんです。肉体労働も多いから結構ハードなんですよ」と仲野さん。現在まで20名の蔵元の後継者を受け入れています。仕込みの技術を盗まれるのでは?と心配されることもあるそうですが「情報はオープンにしないと次が生まれないんです」と一切気にしません。自分たちも若い世代に追い越されないように頑張るので、いい刺激になっているのだそう。

常にトライし、挑戦し続ける仲野さんに、これからの目標を聞いてみました。
「先駆け精神が旺盛な蔵なので、新しい商品はたくさん発売していますが、やってみたいのは吟醸酒の熟成酒(古酒)。お酒自体を温めるという日本酒のすばらしい文化が楽しめる、お燗しても違いがわかる吟醸酒の熟成酒を造りたいですね。海外で日本酒のステイタスをあげるためにもこうしたビンテージのお酒に磨きをかけていきたいです」

直近の目標とは別に、仲野さんがずっと目指しているのはやはり世界中で日本酒が認められること。
「日本酒を世界のお酒にしたいんです。吟醸酒を世界の言葉にしたい。そしていつか山形を日本酒の聖地にしたい」
その夢が叶う日も、きっとそう遠くはない、仲野さんのエネルギッシュな活動を見て感じました。

※全国新酒鑑評会・・・・・酒類総合研究所(旧・国税庁醸造研究所)と日本酒造組合中央会が共催するお酒のコンクール。明治44年からはじまり、100年以上の歴史がある。全国規模でお酒の品質を比較・鑑評する唯一の場となっている。

創業以来、手造りにこだわった酒造りを続けています。「機械しかできないところは導入しますが、自分たちの想いを込めた、人の胸を打つお酒を造りたい。それには今の造り手と、今のやり方が不可欠なんです」と仲野さん(写真提供:出羽桜酒造)

創業以来、手造りにこだわった酒造りを続けています。「機械しかできないところは導入しますが、自分たちの想いを込めた、人の胸を打つお酒を造りたい。それには今の造り手と、今のやり方が不可欠なんです」と仲野さん(写真提供:出羽桜酒造)

2017年に改装した本社社屋の入り口。大きな暖簾が造り酒屋の風情を醸し出しています。玄関に飾られているのは、2020年のコロナ禍で発売し話題となった「出羽桜 大吟醸酒 アマビエさま」

2017年に改装した本社社屋の入り口。大きな暖簾が造り酒屋の風情を醸し出しています。玄関に飾られているのは、2020年のコロナ禍で発売し話題となった「出羽桜 大吟醸酒 アマビエさま」

プロフィール 出羽桜酒造株式会社 代表取締役社長 仲野益美さん

1961年、天童市生まれ。益美の名は、先代が師と仰ぐ信州諏訪の銘醸蔵「真澄」に由来。家訓である「オーナーは製造にかかわれ」を守り、自身も毎年大吟醸酒を30年以上造り続けている。山形県酒造組合会長、日本酒造組合中央会海外戦略委員長。山形ブランド特命大使。東京農業大学客員教授。東京大学大学院非常勤講師。2018年には山形県産業賞を受賞。

出羽桜酒造株式会社

山形県天童市一日町一丁目4番6号

https://www.dewazakura.co.jp/

出羽桜美術館の記事はこちらをクリック

勝負メシ 店名

紹介文
店名
住所

店名

この記事を書いた人
おれんじかいぎさん

Profile 山形会議のキュレーター。山形生まれ、山形育ち。「包丁を研いだら、切れ味がよくなったこと」など日々の小さな幸せを見つけることが得意。頼れるお姉さん。
山形会議をシェアしよう!
keyboard_arrow_up keyboard_arrow_up トップへ戻る