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2021.05.07

子どもたちへ、世界へ、届ける音色
山形のオーケストラが見出した夢

公益社団法人 山形交響楽協会 専務理事(兼)事務局長 西濱秀樹さん

かいぎさん
山形交響楽団の演奏会も開催されるやまぎん県民ホールにて

山形交響楽団の演奏会も開催されるやまぎん県民ホールにて

「山響」の愛称で親しまれる山形のプロオーケストラ・山形交響楽団(以下山響)。山形県民ならその演奏を一度は耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。プロオーケストラは全国に38団体、東北では宮城県と山形県に2団体しかなく、自分の住むまちにオーケストラがあるのは、実はとても貴重なこと。1972年の創立以来、私たちの身近で多くの音楽を届けてきてくれた山響。その活動を支え、魅力を発信してきた専務理事(兼)事務局長の西濱秀樹さんにお話をうかがいました。

コロナ禍での苦悩を経て、活動再開へ

2020年、世界を襲った新型コロナウイルスの感染拡大。国の緊急事態宣言を受け、山響も活動休止を余儀なくされました。演奏会やスクールコンサートが次々と中止になり、それでも音楽を届ける術を模索し続け、無観客ライブやリモート演奏、過去の音源や映像の配信などを行ってきました。

そして、2020年7月7日の活動再開。“ベートーヴェン交響曲スペシャル”において、300人のお客様をお迎えしての公演が実現しました。お客様からの数か月ぶりの鳴りやまない拍手に楽団員の皆さんも涙したといいます。

「2020年度で140公演中、67公演が中止、延期になっています。現在、演奏会は元に戻りつつある状況ですが、コロナ以前に戻ったかというとそうではない。延期になった公演の行き先も見えない。そういった不透明感があります」と西濱さん。

2020年3月14日、無観客でライブ配信した第283回定期演奏会(写真提供:山形交響楽団)

2020年3月14日、無観客でライブ配信した第283回定期演奏会(写真提供:山形交響楽団)

「山響の定期会員は780名ほどいらっしゃいますが、2020年はコロナ禍の中、演奏会の開催も不安定だったため定期会員の会費を払い戻ししました。しかし、半数以上の皆さまが会費を寄付してくださいました。山響への強い想いを受け止め、その想いに応え、山響の魅力をさらに磨いていくことが僕らマネジメントの仕事です」

マネジメント業務を務める一方で、コンサートの司会やプレトークも行う西濱さん。聴衆を引き込んでしまう軽妙な語り口は、山響の名物ともなっています。

「一番うれしいのは『あなたの司会によって、指揮者の、アーティストの魅力が伝わってきました』という言葉。普段小難しい顔をした演奏家がすごくユーモラスな人なんだとか、人の魅力はいろんな側面があって、それが出ていくことが一番うれしい」

ドイツの大巨匠・ヨッフムと出会い、音楽にのめり込む

西濱さんとクラシック音楽との出会いは中学生のとき。レコードから流れるクラシック音楽を聴いて感想文を書くという音楽の授業があったそう。それまで全く興味のなかったクラシック音楽が、聴き始めたら意外にも良かったといいます。

1986年、大巨匠とされるドイツの指揮者、オイゲン・ヨッフム※と、アムステルダムコンセルトヘボウオーケストラの来日公演があり、兵庫県明石市まで聴きに行ったという西濱さん。

「聴いたら、圧巻だった。音楽ってこんなにすごいんだって、立ち上がれなかった。そこから本格的にクラシックを聴き始めた。20世紀を代表する大巨匠が80歳代で現役なんですよ。その命がけの舞台芸術を目の当たりにした。それが今の僕を形作っていると思います」

西濱さんにクラシック音楽の楽しみ方を尋ねると、“演奏家に注目すること”との答え。
「ベートーヴェンやモーツァルトは何百年も前の人。残されているのは楽譜で、楽譜を音にする再現芸術なんです。現代の音楽も同様です。絵画でも彫刻でも、現物があればそれを目の前にして直接的な時間を持てる。でも音楽は違う。必ず演奏家を介して僕らは接する。だから僕は常に、演奏家に注目しています。その人の魅力がそのまま出てくる。だから、僕は必ずこの人が演奏するベートーヴェンが好きなんですと答える。今生きている人たちで、僕らが触れ合うことのできる人たちは演奏家だから」

オイゲン・ヨッフムの公演でブルックナーを聴いて以来、ブルックナーが好きになったという西濱さん。クラシック音楽にのめり込んで、中学から大学を出るまでの間に1200回ものコンサートに足を運んだといいます。

「若いときは誰もが一番感受性が豊かなとき。その時期にそういった音楽体験をしたから、今がある。そのときに僕がそういう経験をしていなかったら、この仕事には就けなかったでしょうね」

※オイゲン・ヨッフム・・・1902年ドイツ生まれ。20世紀を代表する巨匠指揮者で、ブルックナーの権威。1986年9月、亡くなる半年前、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を率いて来日し、ブルックナーの「7番」で、自身のブルックナー演奏の総決算とも言える演奏を遺した。

新しいマネジメントの姿を、山形の地で

西濱さんは2003年から2011年まで、関西フィルハーモニー管弦楽団で理事・事務局長を務め、楽団の立て直しに大きく貢献してきました。オーケストラの世界を離れて、教育事業に携わった後、山響へ。その出会いはどのようなものだったのでしょうか。

東京や大阪の楽団から、音楽の世界に戻らないかという話が再び来るようになったのが2015年頃。その一つが山形だったといいます。

「関西人にとっての東北は、東北の人にとっての四国のようなもの。遠く、縁もない山形で働くことは全く発想になかった。けれど、あまりにも遠すぎて興味を持ったんですよね。僕は順風満帆ではないですから、いろんな挫折も経験して、失敗も多い。経営再建を関西でやり遂げたけれど、反省することも多かった。そういった部分も含めると、新しいマネジメントの姿、新しい自分を山形ならつくれるのではないか」

山響の経営が大いなる危機に瀕していることが表面化したのが2014年頃。西濱さんが山響の理事長・園部稔さんと会って、投げかけられたのは、ただただ「山響を救ってほしい」という言葉でした。話し合いを終えて大阪への帰りの飛行機を降り、園部さんにお礼のメールを送った西濱さん。自宅に戻ると届いていたのは、園部さんからの速達。「ただただ、万難(ばんなん)を排し、良い返事をお待ちしています。園部稔」と。

「メールで簡便に済ました僕と、そうやって思いを万年筆でしたためてくれた園部さん。人間の格の違いは歴然としているわけですよ。この人と一緒に働きたいと思った」

理事長の園部稔さんに出会って、山形に来ることを決めた西濱さん。「人と人の出会い、つながりがすべて」だと語ります

理事長の園部稔さんに出会って、山形に来ることを決めた西濱さん。「人と人の出会い、つながりがすべて」だと語ります

大きな挫折、そこから得たもの

そして西濱さんは2015年に専務理事(兼)事務局長に就任。山響の再建に乗り出します。

「対話を重視したかった。低迷する組織で何が問題かといったら、対話がないことに尽きる。互いに理解が進まない。こんがらがった関係をほぐしていくには、対話しかないわけですよね」 楽団員とも事務局員とも一人ずつ対話を持って、本当に対話に対話を重ねて運営をしてきた結果、楽団員や事務局のメンバーたちの意識も変わってきました。

コロナ禍により、公演中の「ブラボー!」の掛け声を控えなければならない状況の中で生まれたのが「ブラボータオル」「ブラボー手ぬぐい」。このアイデアやデザインは事務局メンバーの提案によるもの

コロナ禍により、公演中の「ブラボー!」の掛け声を控えなければならない状況の中で生まれたのが「ブラボータオル」「ブラボー手ぬぐい」。このアイデアやデザインは事務局メンバーの提案によるもの

西濱さんが再建の際に対話を重視したのは、過去の大きな失敗によるところも大きい。語ってくれたのは教育事業に携わっていたときのエピソード。

「関西フィルハーモニー管弦楽団ではそれは強いトップダウンのマネジメントで再建させて、その後の教育事業でもやはり強いリーダーシップを発揮したわけです。3つの新規事業を同時にスタートして、予算をクリアした事業だけが残るという厳しい競争の中、僕の事業は残り、成果は上がった。けれども、一緒にやっていた若い社員のみんなが、僕とは一緒にできないと反発した」

その一件で役員候補から平社員へ7段階の降格。西濱さんにとって大きな挫折でした。

「そこで普通なら辞めるんだけれども、ここで辞めても得るものはないだろう。気持ちを切り替えて、反発心を持っている社員たちともう一回話し合った。もう一度一緒にやろうってお願いしてやり続けた。そこもやっぱり対話でしたよね」

山響へ行くことが決まった際、当時西濱さんに反発していた社員たちが送別会を開いてくれて、お金を出し合いボールペンを贈ってくれたといいます。

「このボールペンを見ると、愚かだったころの自分を戒めることができる。これは常に持ち歩いている。でも、贈ったほうは忘れてると思いますよ(笑)。今でも皆とは連絡を取り合い、山響大阪公演には大挙して来てくれてます」

教育事業に携わっていた頃、一緒に仕事をしていた社員さんたちから贈られたボールペンを手に

教育事業に携わっていた頃、一緒に仕事をしていた社員さんたちから贈られたボールペンを手に

得意は古典作品。少数精鋭のオーケストラ

「オーケストラで何よりも大切なチームワーク」それに加えて、「常に高いところを目指そうとする真摯な姿勢」。それらを持ち合わせているのが山響だと西濱さんはいいます(写真提供:山形交響楽団)

「オーケストラで何よりも大切なチームワーク」それに加えて、「常に高いところを目指そうとする真摯な姿勢」。それらを持ち合わせているのが山響だと西濱さんはいいます(写真提供:山形交響楽団)

山響は2管8型編成で50名程度の比較的小規模のオーケストラ。関西フィルハーモニー管弦楽団や各地のオーケストラに精通している西濱さんに、山響の魅力をうかがうと「チームワーク」との答え。
「モーツァルトやベートーヴェンをはじめとした古典作品の演奏にはぴったりのサイズです。古典作品の演奏で必要なのは、一人ひとりの力もそうだけど、チームワークなんです。山響のオーケストラの魅力は最高のチームワーク。チームワークから生み出される空気感が非常に温かい」

クオリティでも、2019年、音楽雑誌「音楽の友」3月号のオーケストラランキングで上位評価(日本のオーケストラで6位、世界のオーケストラで45位)を得ている山響。
「以前の山響に良い印象を持っていなかった僕から見ても、古典的な演奏に関してのクオリティは全国でもトップレベル。クオリティの高さと温かさ、一人ひとりの意欲が感じ取れる人間的な魅力にあふれたオーケストラだと思います」

届けたいのは、生の音楽体験

1972年の創立以来、山響がずっと続けてきたスクールコンサート。活動に至った経緯や、継続されてきた想いをうかがいました。

“山形にオーケストラを―” 創立名誉指揮者・村川千秋さんの燃え盛る思いに、当時リーダーシップを持った多くの人たちが呼応したことにより山響が誕生したといいます。

「なぜオーケストラをつくるんだ。それは、子どもたちのためなんだ。子どもたちは未来をつくる存在。だから、子どもたちに本物の感動を届けたい」こうした村川さんの強い思いから始まった山響。これまでに延べ300万人の子どもたちに音楽を届けてきました。

スクールコンサートの様子。「僕が中学生のときに体験していたような、音楽の感動を届けたい。それは、きっとどこかで活きる」と西濱さん(写真提供:山形交響楽団)

スクールコンサートの様子。「僕が中学生のときに体験していたような、音楽の感動を届けたい。それは、きっとどこかで活きる」と西濱さん(写真提供:山形交響楽団)

山形市のようにまちにオーケストラがあり、子どもの頃にオーケストラを聴く機会があるというのは当たり前ではないという西濱さん。

「僕は大阪で義務教育を受けていますけど、義務教育期間にオーケストラを聴く機会なんか一回もなかった。ないのが普通。でも山形に住んでいると、あるのが普通。ここの差異は非常に大きいですよ」

「山形の持っている文化的な共通言語に山響がなるとするならば、山響をキーワードに、みんなが気持ちを共有できるかもしれない。そうなると共通言語を持っている文化圏は何よりも強い。そのことに誰も気づいていない。自分たちの強みはここなんだと認識していなければ、まちは発展しないんです。だから僕は、山形交響楽団という文化的な共通言語があって、その強みを認識していただけるような形にしたいなと思います」

「子どもたちに向けた思いは、この国の未来をつくる」と語る西濱さん。「例えば、子どもたちが小学校のときにオーケストラの演奏を1回聴いたとして、その後の人生で1回も聴くことがなかったとしても、聴いたという事実の方が、聴かなかったことよりもはるかに大きなこと、それを僕は声を大にして言いたい」

2021年2月、藤庄印刷株式会社で開催された「蔵王の森コンサート」では、山形県上山市の宮川小学校の生徒、4~6年生55人を招待し、山響の弦楽四重奏による生の演奏を子どもたちに届けました。

「蔵王の森コンサートは、地元の人たちを招待して、地元の人たちの発展を支える企業の姿を見せることができる。子どもたちが、藤庄印刷という地域に根ざした会社のことを知ることできるし、将来あの中から、ここで働きたいと思う人が出てくるかもしれない。企業というものを知って成長してくれたなら、その子どもたちはこの町の礎になっていきますよね」

「蔵王の森コンサート」で弦楽四重奏の演奏に耳を傾ける小学生たち。「地元の子どもたちを、地元の企業が支えていくというメッセージを強く感じた」と西濱さんはいいます

「蔵王の森コンサート」で弦楽四重奏の演奏に耳を傾ける小学生たち。「地元の子どもたちを、地元の企業が支えていくというメッセージを強く感じた」と西濱さんはいいます

世界にもファンを。映像配信で一つの可能性を見た

コロナ禍で演奏活動を続けていく難しさがある中、動画の配信など新たな試みにも取り組んできた山響。しかし、「いくらすばらしい配信の技術があったって、動画配信された音楽を100回見るのと、1回コンサートを聴くのとでは、コンサートを1回聴くほうが勝ちます」と西濱さんはいいます。それでも動画配信を行う理由を尋ねました。

「動画配信はコロナ禍だからというよりも、一つの可能性を見つけたい。山響の演奏を楽しみにしている人が、リオデジャネイロに1000人いたっていい、ジャカルタにいたっていい。世界規模でファンが生まれたらうれしいし、今はそれができる時代。僕らはコロナ禍の中で、背中を押されて配信というのを強化しました。クオリティも高まった。それによって、新しい夢が見たいというのはあります」

専務理事として毎日忙しい日々を送る西濱さん。そのリフレッシュ方法は “人と話すこと”。「話せば話すほど頭が明晰になっていくし、アイデアやエネルギーが湧いてくるんです」。そしてもう一つは、毎晩、ペットのハムスター(名前はクロスケ)と遊ぶこと、と意外な一面も。

専務理事として毎日忙しい日々を送る西濱さん。そのリフレッシュ方法は “人と話すこと”。「話せば話すほど頭が明晰になっていくし、アイデアやエネルギーが湧いてくるんです」。そしてもう一つは、毎晩、ペットのハムスター(名前はクロスケ)と遊ぶこと、と意外な一面も。

2020年3月、クラシック専門のネット配信サービス「カーテンコール」で演奏を無料配信したところ、リアルタイムで3万人が視聴、うち約8千人は海外の方で、ネットの可能性を感じたという西濱さん。山響が思い描く未来とはー。

「オーケストラは単なる芸術団体だと思われがちだけれども、山形交響楽団という一つのオーケストラが、世界と山形というまちをつなぐハブになれたら」それは西濱さん自身の夢でもあります。

山形のオーケストラが音楽で世界とつながる。そんなわくわくする未来を私たちも見てみたい。西濱さん率いる山形交響楽団のこれからに、大きな期待を膨らませて―。

プロフィール
公益社団法人 山形交響楽協会 専務理事(兼)事務局長 西濱秀樹さん

1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。1995年の楽団存続を訴えるシンポジウムでの発言をきっかけに、関西フィルハーモニー管弦楽団に。2003年から2011年まで理事・事務局長を務め、楽団の法人化と黒字化を達成。その後、教育事業に携わった後、2015年5月より、山形交響楽協会専務理事(兼)事務局長に。2019年から日本オーケストラ連盟専務理事を兼務。

公益社団法人 山形交響楽協会

山形県山形市双葉町1-2-38 やまぎん県民ホール内

http://www.yamakyo.or.jp/

勝負メシ 【KAZU 山形県産牛と牛肉ハムの店】

「店長さんの心遣いと人柄が好き」と話す西濱さん。お店に行くときはメニューはすべておまかせにしているそう。上質な肩ロースをさっと陶板で焼いて、特製の甘ダレと卵につけていただく、お店の人気メニュー『焼きすき』をはじめ、美味しい牛肉料理が味わえるお店。
山形県山形市幸町5-2
http://vieh-natural.net/kazu/

【KAZU 山形県産牛と牛肉ハムの店】

この記事を書いた人
そらいろかいぎさん

そらいろかいぎさん
Profile 山形会議のキュレーター。寒河江市出身。マイペースそうに見えるが、どうやら見えないところで人並に緊張しているポーカーフェイス。某ネズミのキャラに似ているとの声も。
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