work
2021.06.01がん患者に等しく新たな選択肢を―世界最小の重粒子線治療施設が拓く、大いなる可能性
山形大学医学部 東日本重粒子センター長 根本建二さん
前立腺がんに対する治療を開始している固定照射室にて ※撮影時のみマスクを外していただいています
国民の2人に1人が罹患し、3人に1人が亡くなる「がん」。今や国民病といわれ、新薬や新しい治療法への関心が高まる中、東北・北海道エリア初となる重粒子線治療施設が2021年2月、山形に誕生しました。最先端のがん治療施設として諸外国からも注目される「山形大学医学部東日本重粒子センター」(以下、東日本重粒子センター)。センター長の根本建二先生から見た、がん医療のいまとは。そして未来に寄せる想いについてお聞きしました。
放射線診断から放射線治療の道へ。そして出会った重粒子線治療
3大がん治療法とされる、外科手術、投薬による化学療法、放射線。放射線治療の分野に含まれる重粒子線治療は、巨大な加速器を使って炭素イオン(重粒子)を光速の70%ほどの速さで患部に照射する治療法です。エックス線や陽子線など他の放射線よりもがん細胞への破壊力が強く、腫瘍に集中照射できるために高い治療効果が期待され、日本が世界をリードしている医療分野でもあります。
根本先生と重粒子線治療の出会いは、1980年代にまで遡ります。82年に東北大学医学部を卒業した根本先生はその後、宮城県立成人病センター(現 宮城県立がんセンター)放射線科へ従事することに。「現場に出て気がついたのは、それまで自分が思っていた以上に放射線治療によってがんが治る患者さんが多かったこと。当初は放射線診断をやりたかったのですが、こんなに治る確率が高いなら自分にとっては治す方がやりがいがあるんじゃないか、と。有効性を強く感じ、放射線治療分野に進むことにしました」。そしてどうせやるならがん細胞生物学から研究したいと、根本先生は東北大学医学部大学院へ。そこではじめて、重粒子線による治療の存在を知ったと言います。
「入った研究室の教授が、坂本澄彦先生(現 東北大学名誉教授)という日本における粒子線治療研究のパイオニア的存在で、その頃はじめて重粒子線治療を国内に紹介しはじめていた方でもありました」。その坂本先生に伴われ、1986年、根本先生はアメリカの「ローレンスバークレイ研究所」での研究に参加。バークレイでは1977年より世界初の重粒子線の基礎研究と臨床応用が行われ、当時多くの知見が示されていました。
「医療施設というよりは、言うなれば物理学試験施設でしたね。とにかくその規模の大きさに衝撃を受けました。こんな巨大な装置を必要とする重粒子線治療施設が、日本に、まして山形のような地方には絶対にできるわけがないと思ってしまうくらいでした」。それから時を隔てたいま、根本先生は東日本重粒子センターの設置計画から陣頭指揮を執る立場となり、開設を実現。「そんな将来は、なおさら当時は想像もしませんでした」と微笑みます。
「当時の重粒子線装置は“大きければ大きいほど効くんじゃないか”みたいな風潮があって、どんどん巨大なものが作られていた印象です」
適切な重粒子線治療を提供するため、医療体制の強化を実施
実に16年の歳月を経て実現した、東日本重粒子センターの設置事業。そもそもこのビッグプロジェクトは、どのように始まったのでしょうか。
東日本重粒子センターができるまで、先行する重粒子線治療施設6箇所はすべて関東以西にあり、がん患者が増加する中、北海道・東北地方は重粒子線がん治療の空白地帯となっていました。この地域間の医療インフラの偏りを是正するため、山形大学医学部が同センターの設置を標榜。2004年から嘉山孝正山形大学名誉教授(当時 山形大学医学部長)が中心となり、設置計画を開始しました。
重粒子線がん治療施設の設置状況。東日本重粒子センターが稼働するまで、北海道・東北地区は重粒子線がん治療の空白地帯といわれてきました(※2021年6月現在)
2006年、山形大学医学部は放射線腫瘍学講座を新設し根本先生を教授に招聘(しょうへい)。以降、根本先生は嘉山先生と共にプロジェクトの陣頭指揮をとり、東日本重粒子センター開設を見据えさまざまな整備を進めていきました。
根本先生が目下の課題として感じたのは、附属病院のがん医療体制の強化だったと言います。そこで2007年、キャンサートリートメントボード※を導入。従来は最初に受診した診療科が決定していたがん患者の治療法について、関係する診療科を横断して患者ごとに最適な治療方針を決定する仕組みを全国に先駆けてスタートしました。
※手術、放射線療法及び化学療法に携わる専門的な知識及び技能を有する医師や、その他の専門医師及び医療スタッフ等が参集し、がん患者の症状、状態及び治療方針等を意見交換・共有・検討・確認等するためのカンファレンスのこと(厚生労働省HPより)。
嘉山先生と根本先生が導入を主導した、山形大学医学部附属病院のキャンサートリートメントボードの様子。これまで他の大学病院からの視察の申し入れなどもあり、同様の取組みが徐々に広まってはいるものの「もっと全国に普及してほしい」と根本先生(写真提供:山形大学医学部附属病院)
「がんの治療は、未だに患者さんがたまたま行った病院でその人の運命が決まってしまっているケースがほとんどなんです。放射線と投薬、手術、あるいはその組み合わせもあるのですが、どこに行くかによって全く方針の異なる治療を受けてしまっている。その人にとって適切な治療はどの病院、どの診療科に行っても変わらないはずなのに、それはおかしいと。病院全体で責任を持って治療方針を決定する必要性をずっと感じていたので、山形へ来て真っ先に思い立ちシステムとして確立したのがキャンサートリートメントボードです」
さらに根本先生は「キャンサートリートメントボードがあって、初めて適正な重粒子線治療ができる」とも。「一人の医師が良いと言ったからやるのではなく、誰が考えてもこれは適切だと思える患者さんにこそ重粒子線治療を提供するべきですし、オープンな場で皆が意見を出し合ったうえで推奨する治療を決める。それが今後も重要だと捉えています」。
がん医療の課題は“均てん化”。地域格差の根絶を目指して
その後も根本先生は、がん拠点病院をネットワーク化した「東北がんネットワーク」の創立に尽力。さらに東日本重粒子センターを広域で有効活用するため、東北6県を中心に60以上の基幹病院をテレビ会議で結ぶ、他に類のない大規模カンファレンスシステムを構築し、離れた場所にいる医師同士が電子カルテを見ながら対象患者に適切な治療法を検討できる仕組みを完成させました。
東北6県の基幹病院の患者情報をセキュアに連携する大規模カンファレンスシステム。ビジネスのさまざまな領域においてオンライン化が加速する中、医療業界においてもこうした取組みはますます浸透していくことでしょう
「国内におけるがん治療のあるべき姿がどんなものかを考えると、日本のどこに住んでいても等しくレベルの高いがん医療が受けられることで、このいわゆる “均てん化”は、がん対策基本法※の大きな柱の一つとして提唱されてきたものです。ところが、やはり地域ごとに医療レベルや治療の選び方がバラバラで、まだまだ“均てん化”を達成しているとは言い難いのが実情です」。
※がんの治療法や予防法、早期発見対策などを効率的・計画的に推進するため、2006年に定められた法律
“夢の治療”とも言われる重粒子線がん治療を提供する、東日本重粒子センターという大きな医療資源。しかし、その本来の価値は有効に活用されてこそ発揮されるもの。現在、同じ重粒子線治療でも公的医療保険が適用される部位のがんと、そうでないがんとがあり、適用外の部位は先進医療の枠組みの中に入るものも多くあります。
こうした背景もあり、「がん治療の選択肢の一つとして、医師から重粒子線治療について説明を受ける機会すら逸しているがん患者さんも少なくはない」と根本先生は指摘します。「理想は保険拡大の適用で、そのためにも治療効果を積極的に周知し、有用性をエビデンスで示していくことが必要です。重粒子線でしか治療できない患者さんもいますから、受けるべき患者さんにきちんと治療を提供できるよう、広報全般にも力を入れていきたいですね」。
オンリーワンの「山形モデル」で世界を席巻
山形大学医学部が東日本重粒子センターの設置に際し、目指したのは“世界に前例のない、新しいものを創る”こと。それを踏まえ、根本先生等は省エネ・省スペース・廃棄物ゼロ・イージーオペレーションの4つをコンセプトに掲げ、これらを叶える新たな装置の開発をメーカー(東芝エネルギーシステムズ)と共同で進めてきました。
やがて超伝導技術により超小型化された回転ガントリーと、設備を重ねてレイアウトするキューブ型建築の採用により、省エネルギーと、世界最小の設置面積を誇る省スペースを実現させます。その結果、世界初となる総合病院(山形大学医学部附属病院)との接続をも可能に。こうして次世代型重粒子線がん治療装置『山形モデル』が誕生しました。
工事中の東日本重粒子線がんセンターの建屋(写真提供:山形大学医学部附属病院)
建屋45メートル×45メートルという世界最小の設置面積を実現したコンパクト設計の東日本重粒子センター。病院と直結しているため、余病のある患者さんもより安心して総合的に医療を受けられます
際立った独自性と先駆性で、早くも海外から高い関心を集めている『山形モデル』。根本先生に完成までの道のりで“特に苦労したこと”を尋ねたところ、「数えきれない」と苦笑しながらも「やはり一番大きな決断は、回転ガントリーの導入ですね」との言葉。高額ゆえに、当初は賛否が分かれたと言う回転ガントリーですが「これからはこの機械じゃないと売れないし、重粒子線治療で世界をリードできない。そう確信し、わがままを貫かせてもらいました」。この言葉を裏打ちするように、既に『山形モデル』は韓国2箇所への導入が決定。やはり回転ガントリーの有用性が最大の決め手となったのだそうです。
その回転ガントリーが東日本重粒子センターで稼働するのは今年8月から。これにより、すでに固定照射室での治療を開始している前立腺がん以外にも対象部位が広がり、集患向上に一層の期待が寄せられています。
2021年8月より稼働予定の回転ガントリー照射室。360度あらゆる方向からビームを照射し、患者さんは寝たままの楽な姿勢で治療を受けることができます
かつて米国の重粒子線装置を目の当たりにして驚きを受けたという根本先生ですが、いまでは逆に「山形モデル」の実現によって諸外国に大きなインパクトを与え続けています
山形から拓く、先進医療都市の新しい未来
初年度となる2021年度、東日本重粒子センターでは年間120人の治療を見込んでいましたが、予約患者は2021年4月時点でゆうに200人を超えたといいます。「皆さんの期待の大きさを再確認しました」と根本先生。「しかし、あくまでも重粒子線治療を選んでいただいた患者さんにきちんと治療を提供し、副作用を起こさずにがんを治していただくことが我々のミッション。さらには回転ガントリーが稼働する8月からこそが本番で、そこがうまく動いて初めて軌道にのったと言えます」と表情を引き締めます。
東日本重粒子センターの誕生は、多くのがん患者の方々の光明になるにとどまらず、地域経済の活性や研究・教育環境としての充実など、多方面に大きな意義をもたらします。
「重粒子線には単独による治療だけではなく、投薬や手術との併用などの使い方もあります。今後はそのような集学的治療としての活用法についても研究を進めていく必要性を感じています。がん研究を継続しながら、最良の治療法を開拓していくことが研究機関である私たちの使命。山形のがん医療の拠点性をさらに高め、世界をリードする地域になるように尽力していきたいですね」。そう語った根本先生の眼差しは、先進医療都市・山形の新しい未来を見据えていました。
プロフィール
山形大学医学部 東日本重粒子センター長 根本 建二さん
1957年生まれ、岩手県出身。1982年、東北大学医学部卒業。2006年から山形大学医学部放射線腫瘍学講座教授、2016年から2020年3月まで同大医学部附属病院長を務め、同年4月に同大理事・副学長、同年12月に東日本重粒子センター長に就任する。