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2026.01.23

豆を究め、喜びを創る─山形から世界へ『幸せの循環』

株式会社でん六 代表取締役社長 鈴木隆一さん

かいぎさん
株式会社でん六  代表取締役社長  鈴木隆一さん

「豆はでん六」─テレビから流れるあの軽快なフレーズでおなじみの菓子メーカー、株式会社でん六。 1924年、創業者・鈴木傳六さんが山形で菓子づくりを始めてから、でん六は時代とともに進化し、全国にファンを広げてきました。 現在、三代目となる代表取締役社長・鈴木隆一さんは、祖父から受け継いだ思いを胸に、次の100年に向けた挑戦を続けています。長く愛される理由、そして未来への視点を伺いました。

おなじみの豆菓子。でん六豆をはじめ、ポリッピーシリーズや海味鮮(うみあじせん)など多彩なラインナップで、世代を超えて愛され続けています(写真提供:でん六)

おなじみの豆菓子。でん六豆をはじめ、ポリッピーシリーズや海味鮮(うみあじせん)など多彩なラインナップで、世代を超えて愛され続けています(写真提供:でん六)

でん六の歴史、豆とともに歩む人生の輪郭

1953年当時の鈴木製菓(でん六へ社名変更前)と、「スズキの甘納豆」をPRする山車の前にて。傳六社長(後列左から5番目)と傳四郎専務(後列左から3番目)、ご家族や従業員の皆さん(写真提供:でん六)

1953年当時の鈴木製菓(でん六へ社名変更前)と、「スズキの甘納豆」をPRする山車の前にて。 傳六社長(後列左から5番目)と傳四郎専務(後列左から3番目)、ご家族や従業員の皆さん(写真提供:でん六)

「1954年山形市幸町(旧・香澄町字吹張)に生まれました。当時自宅の隣には工場があり、まさに豆菓子の香りと共に成長したと言っても過言ではありません」

でん六の歴史は、時代の変化に合わせた挑戦の歴史でもあります。戦後の食糧難の時代には『スズキの甘納豆』がヒットしましたが、甘納豆は秋冬の商品。 “夏場でも売れる商品を”と、当時の専務だった父である傳四郎さんが東京で見つけてきたのがピーナッツを原料とした豆菓子でした。 そこから着想し加工した豆菓子を『でん六豆』として販売したところ爆発的にヒットし、今でも続く看板商品となりました。 「私が小学校1年生だった1961年、現在の本社工場(当時は城西工場)が完成し、翌年には商標と商号が一致するよう社名も変更。工場の増築を繰り返しながら今の規模になっていったのです」

コーポレートメッセージは「豆を究め、喜びを創る」。『顧客第一主義を貫き、おいしく、良質で、安全な商品づくりを通じ社会に貢献したい』と語る鈴木さん

コーポレートメッセージは「豆を究め、喜びを創る」。『顧客第一主義を貫き、おいしく、良質で、安全な商品づくりを通じ社会に貢献したい』と語る鈴木さん

「当時まだ“はかり売り”が主流の時代でしたが、日本でも早い時期に自動計量器を取り入れ、でん六はフィルム状のポリセロ袋を採用するという先進的な試みを行いました」
ほかにも『でん六』というブランド名をつけて販売したことをはじめ、CMソングの女王といわれた天地総子さんが歌う『でん六豆のうた』を制作したり 当時からプロモーションに力を入れていたといいます。「豆というのは元気に弾むようなイメージだから、パンチのある歌い方の歌手を起用しことがマッチして、 ラジオやテレビで全国を駆け巡りました。それで、皆さん歌を覚えてくださったんです。同じ頃、キャラクターの『でんちゃん』も誕生しました。 1967年からは『でん六節分』としてキャンペーンを開始、 1972年には人気漫画家・赤塚不二夫さんの鬼の面が登場したりと、こうした祖父と父の先見性が、現在のでん六の礎となっています」

1963年発売のでん六ミックス、1970年登場したポリッピーシリーズ〈スパイスの味、しお味、黒糖の味〉と、1975年に撮影した本社工場(写真提供:でん六)

1963年発売のでん六ミックス、1970年登場したポリッピーシリーズ〈スパイスの味、しお味、黒糖の味〉と、1975年に撮影した本社工場(写真提供:でん六)

大学卒業後、1978年に首都圏の大手食品スーパーに就職した隆一さん。 一店員として現場で働いていた鈴木さんは、父・傳四郎さん(当時社長)から熱烈な言葉を受けます。

「今、俺は会社で“革命”をやっている。頑張っている姿をお前にも見せたいから、早く帰ってこい」

その言葉に動かされ、すぐさま山形へ戻ります。入社当時、でん六はまさに変革期。特に画期的だったのが、 パッケージの小袋化や鮮度を保つ窒素ガス充填システムだったといいます。業界に先駆けて実現したこの“鮮度革命”は、 現在のでん六の強みである“おいしさへのこだわり”を形にした原体験。鈴木さんは「この体験は今も役に立っている」と振り返ります。 大阪や青森など県外の支店や出張所で営業を経験し、福岡県の同業他社で修行も積んだ鈴木さん。 常務取締役社長室長、代表取締役専務を経て、傳四郎さんの大病をきっかけにバトンを受け継ぎ、2002年、代表取締役社長に就任しました。

本社ショールームに並ぶでん六豆の歴史。味や鮮度に磨きをかけ続けるのはもちろん、時代に合わせた硬さの調整など、変えるところと変えないところの塩梅が、長く愛される理由です

本社ショールームに並ぶでん六豆の歴史。味や鮮度に磨きをかけ続けるのはもちろん、時代に合わせた硬さの調整など、変えるところと変えないところの塩梅が、長く愛される理由です

山形という土地が育む企業文化

山形という土地が育む企業文化

でん六の商品づくりや企業風土には、山形の県民性がどのように影響しているのかを、鈴木さんに尋ねると、次のようにお話くださいました。

「県民性は、大いに影響していると思います。私の先輩方は非常に粘り強く、泥臭いほどに働き者が多い。 ここまで会社が発展したのはでん六に働く皆さんの頑張りの賜物です。 この真面目さや几帳面さこそが、食の安全・安心を守るためのルール徹底に役立っています」

原料調達の規格は「日本一、下手すれば世界一厳しい」と言われるほどストイック。 製造の数値基準、異物混入防止、鮮度を守る工程のルール化など、時に“オーバースペック”とさえ評される水準を、あえて維持しています。 群を抜いて優秀なその水準を「でん六のスタンダードにしたいですね」と鈴木さん。海外の協力企業・取引先も、『でん六のためなら』と応えてくれるそうです。

山形人の気質が、ものづくりに影響しているのはもちろん、郷土愛も商品に反映されています。 近年では、山形県産の果実を使ったでん六豆も登場。これは知事からの『山形のお土産の名産品を』という言葉がきっかけでした。 試作から商品化まで、従業員の皆さんがスピード感を持って取り組んだそう。地域を盛り上げたいという思いは、常に企業風土に息づいています。

ラ・フランス味、さくらんぼ味、置賜産デラウェア味のでん六豆(写真提供:でん六)

ラ・フランス味、さくらんぼ味、置賜産デラウェア味のでん六豆(写真提供:でん六)

『全国ご当地おみやげブックカバーコンテスト2025』でグランプリを受賞したでん六。さくらんぼや将棋、樹氷など、山形の魅力を詰め込んだ郷土愛あふれるデザインが話題に(写真提供:でん六)

『全国ご当地おみやげブックカバーコンテスト2025』でグランプリを受賞したでん六。さくらんぼや将棋、樹氷など、山形の魅力を詰め込んだ郷土愛あふれるデザインが話題に(写真提供:でん六)

創業から続く、地域への恩返しの精神

霞城公園にそびえる最上義光公騎馬像。祖父である傳六さんが寄贈し、山形鋳物で精巧に仕上げられたこの像は、でん六の地域文化への思いを象徴しています(写真提供:でん六)

霞城公園にそびえる最上義光公騎馬像。祖父である傳六さんが寄贈し、山形鋳物で精巧に仕上げられたこの像は、でん六の地域文化への思いを象徴しています(写真提供:でん六)

鈴木さんが大切にしていることのひとつに、地域貢献の精神があります。 「地域貢献は、創業者から受け継いだDNAです。祖父は晩年、県内各地に13体もの銅像を寄贈しました。“自分が成功できたのは地域のおかげ。 その恩返しをしたい”という強い思いがあったからです」

中でも代表的なのが、霞城公園にある最上義光公騎馬像です。1977年、山形市市制施行88周年を記念して寄贈されました。 あのアグレッシブに前足を跳ね上げた二本足で立つ騎馬像は、実は非常に高度な鋳造技術が必要で、世界でも類を見ない珍しいもの。 「山形が誇る伝統工芸の力を形にしたいという、創業者の郷土愛の象徴でもあります。像の碑文には『山形の人、皆幸せになるように』と刻んでいるものもあるんですよ。 創業者や先代がずっと地域貢献を続けてきたからこそ、私たちも違和感なく、当たり前のように地域に感謝し、自然に貢献できるのだと思います」

地域に根ざし、継続して開催されているモンテディオ山形ホーム戦「でん六プレゼンツマッチ」。2025年も社長のスピーチに注目が集まりました(写真提供:でん六)

地域に根ざし、継続して開催されているモンテディオ山形ホーム戦「でん六プレゼンツマッチ」。2025年も社長のスピーチに注目が集まりました(写真提供:でん六)

鈴木さんといえば、モンテディオ山形の熱いサポーターとしても知られています。 モンテディオ山形への支援は、まだJリーグを目指す前の県民クラブ発足時から。 山形のスポーツ文化を育てるためにスポンサーとなって以来、でん六は一貫して支えてきました。 鈴木さんも先代の思いを受け継ぎ、30年間スタジアムに足を運び続けています。特に印象深いのは、2021年のコロナ禍での出来事。 当時は不要不急の外出が制限され、スポーツ応援さえも歓迎されないような空気がありました。 しかし鈴木さんは、あえて試合前のスピーチで次のように伝え、話題になりました。

『モンテディオ山形の応援は、決して不要不急な行動ではありません。私たちはモンテディオが強いから応援するのではありません。 私たちが応援するからモンテディオは強くなるのです』

「この言葉で、ファンや県民の皆さんの声を代弁したかった。応援すること自体が否定されかねない時期だったからこそ、湧き上がってきた想いをそのまま言葉にしました。 これはでん六が大切にしている“相手を喜ばせ、共に明るい未来を創る”という精神、そのものなんですよ」

山形の夏の風物詩・花笠まつり。
山形の夏の風物詩・花笠まつり。

山形の夏の風物詩・花笠まつり。でん六スタッフが踊り手として参加し、『でんちゃん』の山車が街を練り歩くなど、毎年まつりを盛り上げています(写真提供:でん六)

地域の未来につながる取り組み
地域の未来につながる取り組み

上山市にある蔵王の森工場では、園児を招いた落花生収穫祭を毎年開催し、食育の一環として体験の場を提供しています(写真提供:でん六)

地域の未来につながる取り組み
地域の未来につながる取り組み

山形県金山町と山形大学東北創生研究所、そしてでん六は、新たな地域農業振興のため連携協定を結びプロジェクトを2018年にスタート。金山町と連携し、落花生栽培支援や金山町産落花生を使った商品『ビーナッツ』の共同開発、小学生への授業など、地域の未来につながる取り組みを継続しています(写真提供:でん六)

次の100年へ―世界へ広がる「幸せ、ころころ。」

鈴木さんが最も大切にしていることが“喜働”(きどう)。「働くことで生まれる喜びとやりがいは、商品を通じて社会に届き、たくさんの人の笑顔を生み出す力になるという考えを表したものです。誇りと働きがいを感じる制度をつくるとともに、多様性ある組織づくりとイノベーションを生み出す人づくりを行っていきます」と鈴木さん

鈴木さんが最も大切にしていることが“喜働”(きどう)。 「働くことで生まれる喜びとやりがいは、商品を通じて社会に届き、たくさんの人の笑顔を生み出す力になるという考えを表したものです。 誇りと働きがいを感じる制度をつくるとともに、多様性ある組織づくりとイノベーションを生み出す人づくりを行っていきます」と鈴木さん

100年以上の歴史を刻む、山形随一の老舗メーカーとして第一線を走り続けるでん六。 その動きにも注目が集まるなか、鈴木さんがこれからどんなことに注力しているのか伺いました。

「これからは世界が舞台です。現在、ベトナムやインドネシアなど海外出身の方も採用しており、 彼らが母国と日本の架橋となって国際的な事業展開を進めていくことを期待しています。アジア圏は日本と味覚も近く、大きな可能性があります。
また、SDGsへの取り組みも加速させます。事業活動を通じて、地域・人・環境に配慮した持続可能な価値創出を進めていきます。 100周年のメッセージ『幸せ、ころころ。』には、お客さまの満足を大切にしながら、働く私たちが幸せであり、その幸せを世界中に広げていきたいという願いが込められています。 人口減少社会において、働く一人ひとりはますます貴重な存在になります。休日数の増加や出産手当の拡充など、働きやすさと働きがいの両立を追求し、質の高い人材育成に力を入れていきます」

最近では、若手社員に大きな権限を任せているという鈴木さん。節分の鬼の面のPRでは、感性豊かな新しいアニメCMが生まれたり、公式SNSによる投稿でファンが拡大したりと、自由な発想が形になっています。公式SNSは、商品情報はもちろん、かわいらしいでんちゃんも必見です(写真提供:でん六公式Instagramより)

最近では、若手社員に大きな権限を任せているという鈴木さん。 節分の鬼の面のPRでは、感性豊かな新しいアニメCMが生まれたり、公式SNSによる投稿でファンが拡大したりと、自由な発想が形になっています。 公式SNSは、商品情報はもちろん、かわいらしいでんちゃんも必見です(写真提供:でん六公式Instagramより)

「これからの時代を担う若い方に伝えたいことは『未来は、私たちの心の中で生まれる』ということです。 経済予測や人口減少のグラフを見て、未来が決まっているかのように諦めないでほしい。 未来は外からやってくるものではなく、自分の中に生まれた“こうありたい”という願いを育てることから始まります」
経営者としてだけでなく、ひとりの祖父としての視点からも、孫たちの世代に“いい会社、いい地域”を残すことが、務めだと考える鈴木さん。 「皆さんは自分を信じ、未来を明るいものだと信じて、一歩踏み出してください。山形には、共に未来を支える仲間が、たくさんいます。そう伝えたいですね」

豆を究める厳しさと、人を信じるやさしさ。鈴木さんの人間力が原動力となり、人を、そして会社そのものをこれからも動かしていくことでしょう。 でん六は次の100年に向けて、今日も『幸せの循環』を生み続けています。

でんちゃんと、未来の主役たち(写真提供:でん六)

でんちゃんと、未来の主役たち(写真提供:でん六)



代表取締役 十三代目 岡崎善七さん

プロフィール
株式会社でん六 代表取締役社長 鈴木隆一(すずき・りゅういち)さん

1954年山形市生まれ。山形県立山形東高等学校、成蹊大学経済学部卒業後、首都圏の食品スーパー勤務を経て1979年に株式会社でん六入社。 営業や支店勤務を経験し、常務・専務を歴任、2002年に代表取締役社長に就任。「豆を究め、喜びを創る」を理念に、業界革新を推進。 地域貢献やSDGsにも注力し、創業100周年を経て世界展開を視野に事業を拡大中。
山形経済同友会代表幹事、一般社団法人日本ピーナッツ協会理事長、山形商工会議所副会頭、山形県バドミントン協会会長、 特定非営利活動法人山形県就労支援事業者機構会長などを歴任。2024年、旭日小綬章を受章。(2026年1月現在)

地域の未来につながる取り組み
地域の未来につながる取り組み

株式会社でん六

HP
https://www.denroku.co.jp/

この記事を書いた人
みどりかいぎさん

みどりかいぎさん
Profile 山形会議のキュレーター、元・書店員。青森生まれ、盛岡、仙台育ち、そして山形へ。ダイエットとリバウンドを繰り返す人生は、日々糖質との闘い。レモンサワーがあれば大丈夫。
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